感動を高級にすると理解する者が減る。

感動を高級にすると理解する者が減る。

高級にすればするほど、観る人の力が必要となりますよね。
省いて、省いて、省いていくと、分からないものになる。侘びの世界に似たクリエーションですよね。
説明し過ぎるのは無粋だし、お客さんへの信頼というのも一つの要素だなぁ

と。



最近、ひょうげものを読んでですね←古田織部の漫画
器の価値付けとか、審美眼みたいなことってかなり特殊で。
侘び数奇のね、絢爛豪華が野暮っていう考えと、織部の先の1番よりも2番←乙っていう感覚がですね、非常に面白くて。

言ってしまえばアートに高級、低級なんてないのでしょうが最近そういうことばかり考えていて。
ゲルハルトリヒターっていうアーティストは、絵画を比喩的に

より美しく、より賢く、より途方もなく、より極端に、より直感的に、
そして、より理解不能に描写するだけ。

って言うんです。



最後の、より理解不能に描写するだけ、っていうところが味噌だと思っていて。

そういうところ考えています。←興味として



僕、アートは問題提起があると思うんですね。その中で複雑性が重要で。直接的なことをしないで、比喩とか、見立てとかを重ねてぐちゃぐちゃにしていく。レイヤーごとに表現を変えたりして。で、結局作り手には意図があるけど、受け手には分からない、という形になる。でも本能的に感じるところがあるから、「あ、なんかいい」ってなる。受け手にフックがかかる。だけど、何か分からないし、人によっては分かるかもしれない。でも、それは作り手の一部の要素かもしれなくて。アートにおける多様性ってそういうところだと思うんですね。仰っる通りデザインは整理していくもので省いていく。でもマイナスの複雑性という意味ではアートだったり。それが面白くて。モノを見ても、絵を見ても、小説を見ても、演劇や映画を見ても。
で、大体、みんな幼児性に帰っていくとこの不思議。スキルのアップデートを繰り返した先に「何かよく分からないけど、心地よい」っていうところへ向かいますよね。
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