世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?〜経営における「アート」と「サイエンス」〜

今や半死半生語と化した「教養」について見つめなおすための心強い一冊。
「教養」は学問や芸術を通して人間性と知性を研鑽するものであったはず。


それが経済成長の波の中で、物質主義に染められ、いつしか「教養」は古臭い(時代おくれの)言葉に変わったような気がします。
言葉遣いや立ち居振る舞い、挨拶の文化。
手紙一つとってみても、教養を大切にしてきた時代と比べれば美しさが軽視されていることは明らかではないでしょうか?


「丁寧」や「美しさ」よりも「儲けたもの勝ち」といった感覚。
「きれい」よりも「早い」「安い」などの効率性を重きにおく思考の変化。
時代を急進させた力のある方々(その時代の最先端の業界)の印象は、実際にどうかということはさておき、押し並べて「美」よりも「進歩」を重要視した印象があります。


いつの時代もスクラップ&ビルド。
「破壊」と「再生」を繰り返すのが世の常ですが、その「破壊」に美しさを感じ得なかった。
そして美しさよりも欲望(野望と言った方が良いのでしょうか)を満たすことにエネルギーを注いだ。
また、欲望の満たし方に「美」を取り入れなかった。
このような背景から、「教養」を野暮ったいものとして認知されるようになったのではないかと思います。
本書の内容に関係なく、あくまで持論です。


そしてようやく本書の登場なのですが、この教養化石時代を憂う者に「よくぞ言ってくれた!」と言わしめる一冊です。
また、彼らの慰みの役割になるだけでなく、その論理的な指摘から、教養に見向きもしなかった者へも「美」の重要性を語りかける力強さがあります(どちらかというとそちらの方が大きい)。


また、「アート=感性」「サイエンス=論理」という構造から、その両方を対比させつつお互いの重要性を説明しています。
昨今のビジネスシーンにおいてサイエンスが重視されてきたのは、意思決定を行う際に誰に対しても説明しやすいから。
確かにアートは論理も時間も空間も超えています。
でも、スティーブ・ジョブズがカリグラフィーを学んだよう、信長や秀吉が千利休を重宝したよう、棋士の羽生善治が美しい一手を見極めるよう、美にはサイエンスを超えたパワフルな力があるのです。
時代の流れが急速な現代、サイエンスのみのシステムに限界が訪れようとしています。
ルールは毎日のように更新されていく。
そこにアート的な感性を、芸術家だけでなくビジネスパーソンにも備えておく必要があるのではないか、というのが著者の考えです(多分)。
だからグローバル企業の幹部はこぞってギャラリーに足を運び、キュレーターの話に耳を傾ける。
つまり、審美眼の磨いているのです。


著者は「サイエンスだけでなく、アートも」また、同じく「アートだけでなくサイエンスも重要」だと語ります。
決してどちらか一方なのではなく、その両方のバランスが組織にとって有効に働くのだと。


アートとサイエンスはどこかで繋がっています。
アートから飛び出した答えは、サイエンスによって答え合わせすることができる。
論理を飛び越えたアートの力。
それは、これからの時代を生きる私たちにとって必要なものなのではないでしょうか?
また、(持論ですが)日本人の曖昧さの中に美を見出す感性、これはとても有利に働くと思います。
おぼろげ、もののあわれ、はっきりしない、つまり説明要らずで良しとしてきた私たち日本人。
欧米の明確さを求める美的感性、または一神教の宗教的文化よりも八百万の神を敬う精神。
あえて意味づけはしないという持って生まれた懐の深さといいましょうか。
それが案外、美を育む上で豊かな土壌になるような気がします。

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