アマデウスに視る芸術論~嫉妬と妬みの違いについて~

アマデウスについての考察



25550593_314686479050778_2245847354267026941_n.jpg



【1】
『アマデウス』という戯曲がある。

宮廷音楽家アントニオ・サリエリが天才音楽家モーツァルトとの出会いにより激しく変化する心を描く。
題名はモーツァルトのミドルネーム、つまりヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに由来する。
アマデウスには「神に愛される」の意味が込められている。



【2】
十月に松竹座へ舞台を観に行った。
九代目松本幸四郎が演じるサリエリを観るために。

サリエリは幸四郎のはまり役だ。
勧進帳の弁慶、ラマンチャの男のドン・キホーテ、そしてアマデウスのサリエリ。

来年、幸四郎は、『白鸚』の名を襲名する。
つまり九代目松本幸四郎の名でサリエリを演じるのは今回が最後ということだ。

舞台は期待を裏切ることなく、最高の出来栄えだった。



【3】
物語のあらすじをざっくり説明する。



サリエリは宮廷音楽家として、社会的地位も名誉もあった。
オーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)という、言わばヨーロッパ楽壇の頂点に立つ人物だ。
またベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもあった。
宮廷においてサリエリは何不自由なく(むしろ優雅に)日々を営んでいた。



そこに彗星のごとく現れたモーツァルト。
この若き音楽家は生命力と才能に溢れていた。
ルーキーとして名をあげた彼は、宮廷にも招かれた。



モーツァルトの才能を誰よりも早く見抜いたのがサリエリだった。
宮廷での演奏を聴いたサリエリはモーツァルトが唯一無二の天才であることに気付く。
それは同じ天才的な音楽家だからこそ分かる嗅覚のようなものであった。
世間はまだモーツァルトの隠された才能に気付いていなかった。
ピアノの巧い音楽家の中の一人くらいにしか認識していなかったのだ。



サリエリは激しい嫉妬に燃えた。
それはモーツァルトの煌びやかな才能に対する怒り。
サリエリはモーツァルトの本質を見抜いた。
まだ十分に花が開きってはいないが、その潜在性は驚異的なものであることに一人だけ気付いていた。
それもまた、才能を与えられた者にしか理解のできない世界だった。



敬虔なキリスト教徒であったサリエリは幼き頃から教会で祈る習慣があった。

「私に音楽の才能を与えてください」と。

「それだけでいい、その他のものは何もいらない。
だから、音楽の才能を捧げてください。」
そのためにサリエリは禁欲生活を送っていた。
酒も飲まなければ、ギャンブルもしない、女性との関りも持たない。
勤勉で熱心に。
音楽に対して誠実に向き合ってきたのであった。



サリエリとは対照的に教養もなく、下品で幼児性丸出しのモーツァルト。
しかし、圧倒的な音楽的才能の持ち主。
その嫉妬からサリエリは「若き天才の芽を摘まねばならぬ」と行動を起こす。

「まだ、誰もモーツァルトの才能に気付かないうちに」



宮廷内、または外で邪魔をするのだが、うまくいかない。
その度にモーツァルトの並外れた才能を見せつけれらるばかり。
芸術家の嫉妬に苛まれ、サリエリは遂に、神へ挑戦状を叩きつける。



あらゆる手段を行使し、モーツァルトを追い詰めてモーツァルトを殺してしまう(正確には病死である)。
神への激しい復讐劇を成功させたサリエリ。
しかし、モーツァルトの死後、彼の人生が華やぐことはなかった。
彼は凡庸な曲しか作ることができなかった。
何を作っても、何を弾いても、色褪せて聴こえた。
それはつまり、モーツァルトの作る楽曲のダイナミズムを誰よりも知っていたから。
色鮮やかで、躍動感があり、抒情的で、繊細な。
それ以上の曲を自分には作ることができないということを誰よりも知っていたから。


サリエリは気付いた。
神に復讐した罰はこのことだったか、と。
自分は神を打ち負かしたのではない。
神に背いたことにより、生きながら地獄を味わうという罰を与えれたのだ
、と。
モーツァルトのオペラとその楽曲は彼の死後、様々な劇場で演奏された。



晩年サリエリは孤独に、密やかに過ごした。
 


【4】
『芸術家の嫉妬』が与える自己矛盾。

サリエリはモーツァルトの才能を絶やしたいと思う反面、その圧倒的才能を感知する感受性のない世間に対して苛立っている。
すばらしい交響曲を書き上げ、指揮をとったモーツァルト。
作品の美しさやそこに秘めた可能性に感動するサリエリ。
しかし、皇帝は欠伸をしながらその演奏を眺めていた。


才能を感知するためには、それ相応の感性が必要になる。
サリエリはモーツァルトを憎しみながらも、その裏側で彼の作品を溺愛していたのだ。


そして、その凄さ(モーツァルトの作品の)を分からない世間にうんざりしていたように思う。



【5】
神への復讐。

サリエリの怒りは

「どうして私はこんなにも真摯に音楽に向き合い、お祈りもしてきたのにモーツァルトの方が才能があるのだ」

というところにある。
下品極まりなく、私生活も淫らな彼にどうして神は微笑んだのだ、と。

「音楽の才能をお与えください」と祈り続けた。
しかし、神が音楽の才能を捧げたのはサリエリではなく、モーツァルトだった。
皮肉にも、神はサリエリにそれを聴き分ける「耳」しか与えなかったのだ。

クリエイターと批評家の壁がそこにはある。
良いものを作ることと、良いものが分かるということには分厚い壁がある。



【6】
嫉妬と妬みの違いについて


嫉妬は主に、自分が所有する何かを奪われる危機感、または恐れに対する言葉。
自分の好きな人が自分ではない別の誰かを好きになるのではないだろうか、など。


妬みは羨ましさから相手を引きずりおろしたいという感情。
自分より後に入社したにも関わらず、重要なポジションを与えられた者に対して抱くような。
いじわるをしたり、相手の不幸を祈ったり、そんな負の感情がある。


嫉妬の感情は女性が多く、妬みの感情は男性に多いらしい。



【7】
良性の妬みと悪性の妬み


妬みには良性と悪性の二種類がある。

人を傷つけたり、引きずりおろしたりするのは悪性の妬み
相手のすごさを客観視して、自分も頑張ろうという心の動きが良性の妬み


試験の成績が良いライバルの悪口を言って評判を落とそうと考えるのが悪性。
ライバルの凄さを認め「あの人にもできたのなら自分にもできるはずだ」「自分も相手に見合うように頑張ろう」とマインドを切り替えるのが良性。



【8】
タイガーウッズの有名なエピソード


2005年に行われたトーナメント。
決勝でライバルと接戦になり、相手がパットを外せばウッズの優勝が決まるという場面。

後のインタビューでウッズは「入れ!」と願ったという。
こんなところで外すような相手は自分のレベルに合わないという気持ちがあった。
つまり、自分と接戦する相手なのだから精神的にも肉体的にも一流であってほしい、という超越した精神がそこにはある。

結果は、ライバルがパットを決めることができず、ウッズの優勝が決まった。



【9】
アンドリュー・カーネギーの墓碑に刻まれた言葉。


アンドリュー・カーネギーといえば、言わずと知れた鉄鋼王の名だ。
彼の墓碑にはこのような言葉が刻まれている。


「自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。」

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.


自分よりも能力の高いものを毛嫌いし、敵対視するのか。
それとも相手の能力を求め、仲間として迎え入れるのか。
どちらの方が大きな事業を成し遂げることができるのかは明らかだろう。



【10】
以上、1~9の項目からアマデウスという作品から学び取れるところ。


サリエリが悪性の妬みにかられた芸術家であることは誰の目にも分かる。
そしてそのあまりに人間的な営みの中に文学性と芸術性が潜んでいることも読み取ることができる。
目を伏せたくなるような人間の汚い感情。
行動に移さなくても、自然と心に湧き上がる邪念。
それは普遍的な芸術のテーマと言える。


また、タイガーウッズのように志を高く持つメンタルトレーニングは必要不可欠である。
ウッズの精神性は一日や二日、いや一年や二年で育まれたものではない。
日々の積み重ね、そして自分という人間の持つ可能性を信じることの重要性にある。


アンドリュー・カーネギーのように相手を認めることができれば。
そのためには自分を認めることも必要だろう。
相手を認めてばかりで、自分がそこへアクセスできなければ何の意味もない。
自分という歯車を相手に合わせることで、より大きな効果を見込める。
その発想の転換と、知恵、行動力は不可欠だ。


妬みのエネルギー転化。
一時の感情ではなく、長い目で見た時に自分や組織に成長をもたらせるものの捉え方に宝がある。
喜びだけでなく、怒りや悲しみをエネルギーに変える。
あらゆる感情を行動力や、未来に訪れるであろう布石にすることで、そこに意味が生まれる。
意味が生まれるということは、物語が生まれるということだ。


数々の社会的な成功者にインタビューをしてきた。
彼らの中で共通するのは、「成功までの間に、数多くのピンチや失敗があった」ということだ。


それらは成功の物語に奥行きと感動を与えてくれるスパイスだ。
失敗やピンチは人生をドラマティックにさせる。


少なくとも私がインタビューをした人間には皆、ドラマがあった。
平坦に成功した者などいない。


ここから学ぶことができるのは、失敗したら「しめしめ」という気持ちだ。
オセロの黒石を一息に白に裏返す快感が未来には待っている。


人生の全てには意味があるような気がする。
その意味づけ(物語化)をするのは自分自身の責任だ。
ふと見つめ直してみれば、ただのゴミが、光る石に見えるかもしれない。
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する