CafeBarDonna vol.5

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「何で今まで知らなかったんだろう?」


そんな驚きを味わいながら、その人物についての過去のアーカイブをひたすら掘り起こしてしまう、という体験があります。
私にとっては落語家の立川談志もそうだし、サキソフォン奏者の菊地成孔氏もそう。
それらの衝動に突き動かされる体験は「至高の喜び」です。



そして、最近私がハマっているのが落合陽一氏です。

「まさか自分よりも年齢が下の人に夢中になるなんて」

今まで考えたこともありませんでしたが、実際に起きてみると自分が年を重ねたことを実感します。




隙間の時間を利用しながら貪るように彼の書籍や過去の記事を読んだり、動画に目を通したりしているのですが、その度に胸がドキドキします。
今までモヤモヤしていた何かを吹き飛ばしてくれる爽快感。
そこには私が既存のルール(仕組み)に対して感じていた違和感を見事に言語化し、さらにはその道標になる風景が描かれていて。
たまらず感動してしまいます。




今回オススメの本がそんな落合氏の『魔法の世紀』。
〝現代の魔法使い〟の異名を持つ彼ですが、実際にはメディアアーティストという肩書です(その他、博士/筑波大学助教など多数)。


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ではまず、「メディアアーティストって一体何?」という話からしますね。
メディアアーティストとは、既存のメディア(媒体)とは異なるメディア(ニューメディア)をクリエイトする職業です。
つまり、伝統的な彫刻や絵画から近代的な電気通信におけるデジタル形式のものまでを既存のメディアとし、そこからさらに新しい現象を作ってしまうこと。
例えば、宙に立体的な光(像)を浮かばせて、それを動かしたり。
この辺りが〝魔法使い〟の所以なのでしょうが、テクノロジーの進化を新しい「メディア」という場に落とし込む人なんですね。
私たちが今目にしているのは、実はテクノロジーの進化の途上で(それはどこまで行っても途上なのだけれど)。
でも、たいていは「今の形態が全てだ」って思っていたりしますよね。
それはスマートフォンなんかにしてもそうなのだけれど、まだまだ形態が進化していくでしょうが、今のところ「完成形」というイメージがありますよね。
分かり易くいうと、例えばテーブルって面があって、支えになる脚が数本あって(基本的には4本)……という感じが「テーブル」の最終形態だって思ってますよね。
それをテクノロジーの力で根本から変える。
例えば、重力を取り除き、テーブルの脚を除去してしまう。
そうなると、テーブル自体のデザインが変わり、そこに付随するクリエイティビティがまた新しく後追いするように生まれてくる。



実は今、私たちが「すごい!すごい!」って言っているテクノロジーっていうのはまだまだ進化の途中なんです。
つまりはオタマジャクシとカエルの間の奇妙な状態。
(尻尾はあるのに、ちょこんちょこんと手足が出ている)
落合氏は、そんな私たちに「未来に訪れるカエルの姿」を見せてくれるんです。



こういった規範となる枠組みのことをパラダイムと呼びます。
そのパラダイムが劇的に変化(変態)することをパラダイムシフトと呼びます。
例えば、「文字を洞窟の壁に書いていたのが、紙に書くようになった」というのもパラダイムシフトです。



カクテルにも複数のパラダイムが過去にはありました(ここからお酒の話に移ります)。
ビールやワインなどの醸造酒からウィスキーやブランデーなどの蒸留酒が作られるようになったこともこともパラダイムシフトのうちの一つですが、何より大きなパラダイムシフトは「産業革命」ではないでしょうか。



産業革命が、世界に大きな影響を与えたことは周知の事実です。
それはお酒の世界にも例には漏れず。
産業革命は18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業の変革のことを呼びますが、ざっくり説明すれば「人類にとってはじめての工業化」と言うことができます。
これによって均一の質のものが大量生産可能になりました。



そのことにより、良質のジンやウォッカなどのスピリッツ(蒸留酒)が安価で手に入るようになります。
この「低コストで手に入る」というところが重要で、そうなると「どこでオリジナリティを見せるのか」という問題が出てくるのです。
これはファッションでも音楽でも同じです。
皆が同じものにアクセスできるようになった時に何が起こるか。



今までスペシャリスト(職人)の間でしか作られなかったものが、一般人の発想で自由に創作されはじめます。
「多様性が生まれる」ということです。
「同じもの」からオリジナリティを生み出す。
そこには意識的にも、無意識的にも個性が浮き立ってきます。
例えば、「何かと混ぜ合わせたり=カクテル」



文章で例えましょう。
昔は「石壁」に文字を掘っていました。
持ち運びができない上にコストもかかる。
文字を書くための石は貴重で、掘る技術も特殊なものだったでしょうから、おそらく石壁に文字を書いていたのは職人でしょう。


次は「石壁」から「羊の皮」に文字を書くようになりました。
そのことにより起きた変化は、「持ち運び可能」ということ。
未だにコストは高いので、貴族や特別な役割を持った人間しか使用できなかったはずです。


それから「紙」が誕生しました。
このことにより、一気に文字を読み書きする能力(リテラシー)が上がり、文字は広がりました。
そして、職人以外の役割を持つ人間が生まれました。
小説家です。
「記録する」から「娯楽を提供する」職業が現れた瞬間です。


続いて、「インターネット」の登場により一億総小説家の時代が到来したと言えます。
今まで本を出版するにはいくらかの資金が必要でした。
お金を持っているか、才能に投資してくれる人物が必要だった。
しかし、インターネットの普及により、誰でも通信料のみで「物語」を発信できます。
ブログやSNSなどがそうです。
携帯小説作家やブロガーというスペシャリスト(本来の枠組みとしての作家)からズレた職業が誕生したのです。




(このことから、「低コストで誰もがアクセスできる」という意味合いにおいて、ファミリーレストランの「ドリンクバー」が意外にもカクテルのパラダイムに刺激を与えたのではないか、ということも思ったりします)
パラダイムの変化によって新たな文化が生まれます。
音楽の場合、ホールや空き地で演奏されていたのがレコードというパッケージされた製品が登場し、わざわざ「そこ」に行かなくても聴けるようになりました。
これは単に「レコードの登場」という話だけではなく、ジャケットにイラストやデザイン、写真などの様々なクリエイティビティ(他ジャンルのアート)が付加され、独自の文化を築いていくことに繋がりました。
文化全般はそういった、メインではなくサブに起こるクリエイティビティが実態だったりします。



それに加え、アメリカの禁酒法という制約もカクテルの歴史に大きな影響を与えました。
禁酒法とは1920年~33年までの期間に制定された法律です。
この間、アルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止されました。
全く嘘みたいな法律ですよね。
道徳的な意味合いからの禁酒を強制したのですが、そんなことは到底無理な話で、密造しギャングの資金源を肥やしてしまう結果となります。
この時に、公安にバレないようにジュースの中に蒸留酒を混ぜて飲んでいました。
つまり、結果的に「カクテル」のヴァリエーションを増やすことになったのです。
それに加え、アメリカにいた優秀なバーテンダーが職を失い、ヨーロッパへ逃げたんですよね。
そのことにより世界中でカクテル文化の底上げに繋がりました。
皮肉にも、禁酒法がカクテルの黄金時代を後押しする結果となったのです。



私の注目するカクテルのパラダイムシフトは産業革命、そして拍車をかけたのが禁酒法。
産業革命によるコストの低下と、禁酒法という制約によるヴァリエーションの広がり。
誰もがアクセスしやすくなってはじめて大きな変化が起こります。
また、制約の設けられた中で、(逆説的ですが)人は自由な発想を手に入れることができるのです。



『福井モデル』という本(幸福度ランキング上位の北陸三県の地域活動について書かれたもの)の中で、特定のコミュニティに大きな変化をもたらすのは3つの「者」がある、と書かれていました。

それは「若者・よそ者・馬鹿者」。

つまり、その枠組みの中にいるだけではパラダイムシフトは起こせない。
外からの視点を持った者にしか本当の改革は起こせないんだ、っていうことです。


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Barで楽しむお酒なんていうのは嗜好品も嗜好品。
生活を送る上で正直要らないものですよね。
酒が飲みたければ、酒屋と言わずコンビニにでも売っているのですから。
Barでのお酒は付加価値の塊みたいなものです。



テクノロジーの進化により、人工知能の発達が注目されている昨今。
私は意外にも、バーテンダーはAIには代用できないものだと思っています。
その理由はBarは「場」を提供するものだから。
美味しいカクテルを作るだけならAIでもできるでしょう(ことによると、AIの方が優れているかもしれません)。
しかし、そこで生まれる会話、沈黙、空気、というものはバーテンダーにしか生み出せないものなのです。
アートと同じですよね。
論理を超えた「アート」、それは人間にしか成し得ません。
心の揺らぎが影響するものはAIにはなかなか表現できません。
そういった意味で、バーテンダーは人間性が試される(それは心のぬくもりや空気感)重要な職業だと私は思います。



《写真は石垣島の夕日です》

CafeBarDonna vol.4

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「並べるだけで自然と動き出すイメージ」

お酒も本も別々で見れば、ただそれだけなのですが、二つ並べることによって人は勝手に関連性を見出すものです。
その辺りが「非常にクリエイティブだなぁ」と思い、『プライマルラジオ』放送時から『本日のカクテル』というコーナーでやりはじめたのが最初。
まるでシェーカーの中で酒と酒が混じり合うカクテルのように、本とお酒が脳内で混じり合って新しい味わいになる。
いつかそんな「マリアージュ本」を出したいです。


今回、紹介する本はこちら。


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『増田のブログ』

すばらしい一冊と出会いました。
これはぜひ、お手に取っていただきたい本です。

TSUTAYAの社長、増田宗昭さんの著書。
増田さんが書いてきた2007年から2017年までの10年間の社内ブログ(社員だけ見ることができるブログ)をまとめたもの。
単に本で読んだ知識や誰かに聞いた話を文章にしたのではなく、増田さん本人の経験から紡がれる言葉たち。
流れ落ちた汗が結晶となり、珠玉の輝きを放ちます。
やさしく、力強く、そしてぬくもりに満ちています。

「経営の本質は、失敗の許容」

増田さんはこの言葉を大切にしています。
失敗の中にしか成功はなく、その失敗を許容する器を経営者は持たなければ会社の成長はないということです。
できることばかりやっている人というのは年を重ねても同じところに留まっています。
でも、できないことにチャレンジした人というのは時間が経つとその分成長している。
人の成長は、できないことにチャレンジする覚悟の大きさに比例する、と。


「失敗」がただそれだけで終わる、ということはありません。
たとえ財務的には失敗しても、経験や人脈といった財産は残るわけですよね。
増田さんは、こういった財産も成長の一つだと語ります。
これはまさに、マッサージとスポーツストレッチの違いであると私は思います。
マッサージは揉まれてただ体が心地良いだけ。
でも、ストレッチは痛みを伴う心地良さです。
しかし、その痛みがなければ可動域は広がりません。
つまり、ただマッサージをするだけでは身体性は飛躍しないのです。
今できないことをすることにしか能力は顕在化しない。
つまり、未来を包括した行動(今はできないこと)でなければ成長はないのですね。
増田さんはこう語ります。

「成功には失敗という踏み台がいつもある。
反対に成功体験は踏み台にはならない」


その理念が頭にあり、力強いチームをつくっていきます。
少数精鋭の組織です。
つまり「考える少数集団」。

考える集団100人と、考えない集団1000人が戦った場合、どちらが強いでしょうか?
増田さんは一人一人に「考える力」を求めました。


ただ「考えろ」というのではなく、「考えなければならない」環境に身を置かせたのです。
実践的に自分で決めることの重要性を伝えました。

「やりたい」と思ったことを存分にやらせる環境づくり
そこにはまさに「失敗の許容」が試されるのですが、「好きで、一緒で、楽しんで」という言葉の裏に隠された「人のせいにしない、自ら考え、自らチャレンジする」という前提や美学を大切にしました。
「楽しいこと」の裏側には責任があります。
それを決断(実行)することで、自らにリスクを負わせる。
リスクを負ってはじめて人は能動的に「考える」のです。


実にすばらしい本でした。
あらゆるリーダー、クリエイター、アーティストにおすすめの一冊です。



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『オレンジとチョコレートのカクテル』

2月ですのでもうすぐバレンタイン。
オレンジの果肉とチョコレート、それを生クリームとグランマルニエを加え、フローズンに。
グランマルニエというのはオレンジの果皮をスピリッツ(蒸留酒)に浸し、蒸留したあとにブランデーを加えてオーク樽で熟成させたもの。
上品なオレンジの香り、ほんのり甘く、豊かな味わい。
ケーキなどにも使用されていますのでご存知の方も多いのではないでしょうか。


※もう一枚の写真は本願寺の大銀杏です