神のゆらぎ

映画『神のゆらぎ』を観た。

ダニエル・グルー監督作品。
1つの事故に宗教問題、酒や男女における倫理問題などの4つのストーリーが絡み合う群像劇。
『Mommy/マミー』などで監督として有名なグザヴィエ・ドランが俳優として出演している。
題名の通り、神の思いつきのような采配が登場人物を残酷なほど弄ぶ。
神の気まぐれは人間の一喜一憂を嘲笑う、いや、ちっぽけなそれぞれの運命などに興味はないのかもしれない。

映像と音楽の美しさによって、すぐに作品の世界へ引き込まれます。
特に心情を表したような音響の効果に、心は揺さぶられます。
時間軸が行ったり来たりしているのが最初は分からないのですが、作品の世界へ入り込んでいくうちに、次々とパズルのピースがはまるように理解が深まっていく様は物語の醍醐味かもしれません。
分からないものが時間と共に理解していく。
ばらばらだったものが一つずつ形を成していく。
登場人物の抱える問題、それはあまりに個人的であり、人によっては醜ささえ感じる種類のものであるのだが、時と共に(それはある事故の予感を匂わすことや次第に深まる人物への愛着から)、それらを許し、むしろ背中を押している自分がいる。
この人物に対する観客の心の変化は、物語が捻れつつも、あらゆるものを巻き込みながら、確実に前進していることの証明だろう。
物語の力はそこにある。
問題が解決せずとも、時間と共に進む中で観客に心の変化を与える。
そう、問題が解決せずとも。
問題の解決が目的なのではない。
それは物語が鈍く、大きな力で、じわりじわりと進む中で偶然得た副産物のようなものだ。
目的は観客の心の変化である。
本作はそれを見事にやってのけている。

作品の中で渦巻く緊張感や重たい空気、微かな喜び、その裏に潜む淋しさ、陰、数種類の胸騒ぎはそのための演出、つまりは触媒であったことに気付かされる。

救いのない話だ。
ただ、それをもったいぶらずさらりと終える辺りも僕の好みである。
この辺りの編集には監督もしたり顔だろう。

時間がある時にじっくり観て欲しい映画だ。

ラジオの話。

今日はプライマルラジオの生放送でした。
今年に入ってから全編フリートークに挑戦していて、なかなかのスリルを味わっています。
オープニングでは先日観た高安能の話と、お風呂屋さんでのしらす丼の話。
1000円のしらす丼といったら「しらす」てんこ盛りをイメージしてしまうのは私だけでしょうか?
しらす丼のイメージ(特にしらすの量)は人それぞれ違うと思うんですね。
僕の場合は1000円という「しらす」価格は結構振り切った感があるので、どうしてもどんぶりからこぼれ落ちんばかりの富士型丼を思い浮かべてしまうのです。
お天道様の光が向こうから差して、全面が黒く影になってるしらすの山。
僕からすれば「しらす」ごときに1000円という価格は、こちらもなかなかの度胸を要するのですよ。

この間注文したそのしらす丼。
これが予想を遥かに下回り、恥ずかしいほど白米丸見えのしらす感。
これはさてさて、どうしたものか。
誰が悪い、いや、悪い者などいないのか。
そもそもの世間一般の「しらす」基準が定められていないのじゃないの、ってところに落ち着いたんですね。

昨年、お伊勢参りの帰り、サービスエリアの定食屋に入ったんです。
ロウで作られた見本の定食が並んでいましてね。
僕の目に留まったのが「しらす丼(味噌汁付)」800円。
でもね、いくらしらす好きな僕としても「しらす」と白米で腹を満たすのは心許ないのです。
結局は茹でられた稚魚の群れ。
霊長類の雄が稚魚のみで満腹になるのか、という疑念がありますよね。
そこでその隣にあった定食に気付きました。
「カツ丼(しらすごはん付)」1100円。
これにグッときたわけです。
しらす丼の値段に300円足すだけでカツも味わえる!
しらすの量が減ろうが、満腹感はカツで充分だ。
そして1100円の食券を買って、音の出る番号札を渡され定食が作られるのを待ちました。
お伊勢さんに手を合わせたところですし、清々しい気分。
ビービービー。
手元の番号札が音を立てて震え、僕は心を踊らせ定食を取りに行きました。
そして渡されたお盆を見て絶句しました。
ご飯の上にかけられていたのは「しらす」ではなく、「ちりめんじゃこ」だったのです。

ここでも、世間一般のしらすに対する認識にブレを感じました。
しらすはやわらかいの!ちりめんじゃこは乾いたやつだろ!と。
誰が悪い、いや、悪い者などいないのか。
そもそもの「しらす」への認識の違い。
誰が悪いというのではなく、皆が皆、「しらす」を曖昧な存在として認知しているというのが現状なのかもしれません。
ここら辺りで、しっかりと「しらす」の価値基準の統一化を図ろう。
というのが話題の中心となりました。

あとは、男風呂の清掃係の方のほとんどが女性という件。
当たり前のように女性、という件。
それはまた別の機会に。

世界一美しい食べ方のマナー

フードプロデューサーの小倉朋子氏の著書。
あらゆる料理と向き合う食べ方の作法。
その指南書。
フードプロデューサーという職業があることをまず知る。
まぁ世の中にはネコのしつけコンサルタントがいるくらいだから、フードをプロデュースする人がいてもおかしくない。
これだけ細分化する料理業界、誰かの知恵でコーディネートしてもらうのは有難い話である。

実は食べ方には正解があった。
「どうせ口から胃の中に入って全部一緒になるんだから」
そんな野暮なことは言ってはいけない。
SNS黎明期を越え、もはや発展期に入る昨今。
インスタやFacebookにおける「他人の目からどう見えるか」を意識する時代である。
美しく見られることは誰しもに要求される能力だ。

著者は美しい食べ方は「食への敬意」から生まれるという点から、己の生き方の鏡となるという域にまで展開させる。
7つの法則を紹介しながら、美しさの理由を教えてくれるのだ。
懐石料理、フレンチのフルコースはもちろんのこと、基礎から伝授。
白ごはんにはじまり、麺類、パン、汁物、野菜、肉魚、豆腐に鍋、スィーツに至るまで。
あらゆる料理に食べ方の正解があったのだ。
「これはこういうものだから、こうしなさい」
と、不合理な精神論でもなければ、そんな押し付けがましさもない。
全てにおいて、その食べ方の理由があり、それを論理的に分かりやすいイラストと共に説明してくれる。
実践するかは分からないが、このような手順が世間にはあるのだ、ということを知るのにはいいかもしれない。
知っているのと知らないのとでは、今後の人生に大きく違いが出るだろう。


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TED驚異のプレゼン

TEDとは様々な専門家が自分の決めたテーマを観客へ向けてプレゼンテーションする番組だ。
インターネット上で無料公開されているそれらの動画(500以上のもの)を分析したのが本書である。

人の心を惹きつけるためには、感動はどこから生まれるのか、自分の言葉を記憶に残すためにはどうればいいのか。
日々、あらゆることで試行錯誤する働く人々には参考になる要素はたくさんある。
一流の専門家たちのスピーチを分析すると出てくる、共通点。

情熱は伝染すること、脳はユーモアが好きなこと、自分のストーリーを話すこと。
どれもこれもストンと腑に落ちる。
天才はこれらを自然とこなしている。

人前で話す時、思うようなパフォーマンスを発揮できない人は是非読んでみてください。
心が少し軽くなります。
人は「何をすればいいのか」が分かった瞬間から、大きな変化を見せますので。

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海曜日の女たち

阿部日奈子氏の詩集。
言葉の豊饒に自由を感じる。

溢れんばかりの言葉、生命力のある言葉。
豊かな言語ゆえの自由奔放さが眩しい。
莫大な言葉の中から狙いを定め、取り出すセンス。
バランスのとれた言語感覚。
言葉の海で遊ぶイルカのようね。
遊んでいるな。
言葉と遊んでいるな。
言葉は身体から離れたものだ、という人もいるが、身体的に遊んでいる言葉がここにある。
詩の楽しさ、詩のヨロコビ、詩の可能性。
ああ、詩が好きになる。

僕はこの人のことを何も知らないけど、僕はこの人の詩をずっと読んでいたい。


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