7月のつぶやき1

今日は取材後に、関西大学に作家のチェシルさんと辻原登さんの講演を聴きに。
かなり刺激を頂きました!

書くことで救済される。
書かざるを得ない衝動を。


その後プライマルラジオの収録。
それからスタッフミーティング。
なんだか色々考える一日。



たまにびっくりするくらいインターフォン鳴らしてくるおじさんいますよね。
どこかの回路がバグ起こしてるみたいに。
家族の間でも「ナシだろう」ってな具合でたたみかけてくるタイプのおじさん。



驚いて、玄関開けたら、ひょろっとした普通のおじさんだったりするからまた怖い。
さっきのゲリラインターフォン襲の人物と繋がらないから、余計に気持ち悪い。



完璧じゃなくていい。
サビがあればいいんだ。
さらに言えば、完璧じゃない方がいいんだ。



日々の機微にてんてこ舞い。



毛の生えていないところは触覚が研ぎ澄まされている
たとえば、手のひら、足の裏、くちびる、生殖器。



すごいですね。
夏の南イタリア気分を味わうにはジョリーパスタで十分ですね。



すごいですね。
夏の南イタリア気分を味わうにはジョリーパスタで十分ですね。



オーストラリアのお土産にラムレーズン入りの板チョコを戴いた。
それを囓りながらパソコンで作業して、ふと気付くと両腕チョコまみれになっていた。
一体どんな食べ方してるの?
自問自答、諸行無常。



気が付きゃいつも締切ばっかり。
そして締切がないと燃料は燃えないというのも事実。
毎日燃えています。



僕の教え子(高校生)が英語のスピーチコンテストに出場します。
昨日の晩、一緒に原稿考えてました。
とりあえず完成。
はぁー、入賞してほしいなぁ。
入賞するとロサンゼルスへの切符が手に入るんですって。
高校生の多感な時期に海外に行けるのは素晴らしい経験になります。
感受性が豊かな時期の経験はお金では買えないですからね。
色々、見て、聞いて、行って、体感するべし。
中学生の頃、夏休みを利用して長野県の白馬村の民宿に居候に行ったなぁ。
テニスやってまして、民宿のお手伝いしながら朝も昼も夕もテニス三昧。
家族と離れて過ごしたキラキラした思い出。
気も利かない、愛想も無い、使えない中坊だった僕を受け入れてくれた白馬村の民宿の皆さん。
今から考えれば、大したことではないのだろうけど、中学生の僕には毎日が大冒険だったように思います。
休憩の時に1人で川縁にオニヤンマを捕まえに行ったりもしました。
周りがみんな大人で、大変可愛がってもらったのを覚えています。
あの頃に1人で海外に行ってたら、どれだけ素晴らしい体験を出来ただろう。
あの頃は携帯電話もまだ広く普及されていない時代。
何でもないこと全てが煌びやかに映り、あらゆる失敗も今の糧として貴重な経験値となって僕を大きくしてくれただろうと思います。
ああ、感受性よ!

6月のつぶやき4

当たり前のことなんだけど、自分が出演者側にまわると写真も撮れないし記事も書けない。
顕証寺での結婚式も昨日のアリオのイベントもすばらしかったんだけどなぁ。



十代の若者が多くの人を巻き込んで「何かを為したい」と思うのは、宝だと思います。




自分が十代の頃、熱意を持って大人にお願いできただろうか?
きっと、何らかのことでみんな協力してくれたと思う。
「若い」ということはそれだけで、貴い価値のあることなんだ。



毎日がオーディションのよう。
背水の陣です。


歩きスマホをあーだこーだうるさく注意してたおっさんが、タバコのポイ捨てしてた。
僕は見たよ。
はっきりと見たよ。
SNSで良いこと書いて、悪を罰し、ストレス発散。
それから「いいね」いっぱいもらって、共感得て、正義の味方みたいな気分になる。
そこだけの切り取り。
歩きスマホを成敗、そこだけ。
自分の悪行は舞台裏なんだろうなぁ。
ある程度お金に余裕があって、時間にも余裕ができたら、暇潰しに正義の味方ごっこして。
タバコ吸って、夕方には缶ビール飲んで、パソコン開いて「いいね」いっぱいもらって、いい気分になって。
困ってる人の手助けのフリして実は自分の株上げることが目的で。
何だか好きになれないんだよなぁ。
別に、全然いいのだけど。
(関係ないし)

ただ、言ってることは同じでも素敵な人と、そうじゃない人がいる。
微妙な差だけど、みんな気付いてると思う。

6月のつぶやき4

人間は遠い未来まで予測する能力がある(他の動物は3日後のことなど考えないらしい)。
その優れた能力ゆえ、問題を先延ばしにしてしまう癖があるのだと。
「今やらなくても、明日やればいい」という発想。
豊かなポテンシャルも諸刃の剣。



反対意見が出ないと議論にならない。
議論が起きている間というのは皆が注目している期間だから、広告という意味では議論は長ければ長いほど良い。
アンチがいないと大きくなれない。
料理でいうところの苦味による対比効果みたいなもの。



結局最後は自分で考えて、自分で決めないといけない。
正解なんて、終わった後じゃないと分からないのだもの。



エンジンかかってないのに必死でギアをドライブに入れようとしていた。
2、3分も。

暑い車内で一人ツッコミ。
こりゃ、夏だな。
脳の深部にきたしている。



TTTにやる、宣言。
思いついたら吉日。
「てっていてき」=TTTにやる。

TTTプロジェクト始動。



ここ一週間の読書
カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』
井上靖の『敦煌』
岡潔の『日本のこころ』
塚本邦雄の『秀吟百趣』
岸田秀の『ものぐさ精神分析』
読書感想文書かないとなぁー。



「八尾で活動する作家」
行政の仕事に携わらせて頂いたりすることで、八尾市の活性化にだけエネルギーを費やしていると思われているんだろうなぁ。
別に八尾にこだわってるわけじゃないですよ。
本当は全国的に活動したいですよ。

本音は。

場所がどこだろうと、良いものは良い。
チャンスあれば外に出たいですよ。
それはもう虎視眈々と。



情報でも、知識でも、環境でも、
変化のない人は常に古くなっていくなぁ。
専門分野を深めることは言わずもがな、専門外のことからも影響を受けるべきですよ。



なるほどなぁ、Facebookやらない人、やめようと思っている人の心が分かってきたww
外側に発信しているようで、とても内向きな思考になる。



たくさん喋ることが言葉の価値を上げるわけでもなく、むしろ言葉数の少ない者の方が一言に対する価値は高い。
究極に言えば、声を出せない(身体的な理由で)人の言葉、そのウェイトは計り知れない。
人間関係を操作しようとする人が現れる。

打破するためには質を高めることに専念すること。
あとは、本当の意味で外側にアプローチをかけること。



たくさん喋ることが言葉の価値を上げるわけでもなく、むしろ言葉数の少ない者の方が一言に対する価値は高い。
究極に言えば、声を出せない(身体的な理由で)人の言葉、そのウェイトは計り知れない。
決して希少価値だけでは言葉の価値を計ることはできない。
要は質の高さ。
ただ、量が増えると水っぽいカルピスみたいになるのは免れない。
だから、いかにカルピスの原液を多くするか。
そしてまた、「原液だけでは飲みにくい」ということも考える。

6月のつぶやき3

記憶というのはあまりにも曖昧。
真実も嘘も、時が経てば分からない。
嘘のつもりが本人の中で真実になることもあるし、その逆も。
つまりは、自分(もしくは相手)の心の中の真実をクリエイトすることが何より大切。
信じれば、それは真実。
疑えば、それは嘘。

心が信じるように演出すること。
本当のことなんてどうでもよかったりする。



小学生の頃、ボーイスカウトの体験に行った時、僕の寝袋だけおしっこの臭いがした。
きっと前に使った人が漏らしたのを秘密にしてそのままにしていたのだろう。
僕はそのことを誰にも言えなくて、おしっこの臭いの寝袋の中で3日間寝たんだ。



思った以上に空が青い。
あさのさんぽ。
よいものが思い浮かびますように。



バーをしているもので、朝の7時、8時っていったら僕からすれば当たり前のように寝ている時間。
普通の人の感覚で夜中の0時とかの感覚ですよね。
「さぁ、今睡眠に入ったぞ!」
っていう。
朝起きているというのは心地良いものですね。



共謀罪がよくわからない。
これはどこからどこまでがテロの準備に?
という線引きの問題でわいわい揉めているのでしょうか。



ニトリの家具を組み立てただけで仕事した気になる、という。
廃退、これぞ、廃退。



とりあえず圧倒的な情報量を浴びないと!
工夫するのはそれからだ。



ラジオ収録終わり!
ストップウォッチが途中で止まっていて、まさかのエンディングにww
神回というやつになりました。



今日はとある福祉施設で打ち合わせ。
イベントの依頼。
ここ最近の福祉業界のホスピタリティには眼を見張るものがある。
もはや『介護』という言葉の含むニュアンスを遥かに超えている。
ITARERI&TSUKUSERIだ。

『ITARERI&TSUKUSERI』

自分で言っておいてなんだけど、この言葉ちょっといいなww
Dolce & Gabbanaみたいだし、
Moët & Chandonみたいでもあるし。
何かで使おう。

『WABI&SABI』でもいいね。

でもやっぱりイタレリ&ツクセリだな。

6月のつぶやき2

「ものは器で食わせる」といいますが、こんな暑い日にリーデルのグラスで白ワインをクイッとやると最高に気分が良いでしょう。

さっぱりとミュスカデあたりを。

グラスによって印象変わりますから、色々お試しになってできるだけこだわってみてください。
日々の生活が豊かになります。



取材して記事にした人に喜んでもらった時、驚くくらい清々しい気分になります。
疲れが吹っ飛ぶ。
「小説、おもしろい」の言葉ももちろん嬉しいけれど、取材は相手がいての共同作業だから、また違う感覚。



きっかけは何でもよくて「これ」っていうのを見つけたら、そこから少しずつ育てていく感じ。
物語ってそうやって展開させる。
後から思い返すものが全てではない。



朝方から仕事しています。
8時ちょうどに家が揺れました。
近隣の解体工事、恐るべし。
ぐらぐら、揺れる中、原稿。
人間、慣れるものですね。

「慣れ」っていうのは思考の省略ですから、エネルギー使わなくなるし便利なのだけど、よく考えてみたら恐い能力ですよね。
今まで気付いていたものが「気付かなくなる」のですから。



常に「リビングにはゴーフルがある」という環境をつくりたい。



思いつくのと、実際に行動に移すのでは、天と地ほどの差がある。
やんないと。
考えてるだけじゃなく、やんないと。

「やってるねぇ!」

って言われる人でありたい。
失敗しようが。
だから、僕が「やってるねぇ!」って言う時は、エールの意味があり、そして刺激を頂いた分の感謝の意味があります。



文章よりも、音声よりも、動画を手軽に配信できればなぁ。
と、考えております。←今更ながら
短いやつを。



プライマルラジオで谷崎のこと話した回を編集したのをきっかけに『細雪』を久々に読み直している。
きっと純文学が好きな人は明治・大正における「新たな試み」という雅なノスタルジーをずっと追いかけているのでしょうね。
一部で「昭和」礼賛、という傾向があるでしょう。
あれもノスタルジーを追いかけているだけで。
当時の豊かだった己の感性を、懐かしみ、また妬んでいることが多いにあるような気がします。
煌びやかな思い出、はかない幻想の中に、かつて研ぎ澄まされていた感受性を見出すのでしょう。
それが悪しき傾向、または風習だとは思いません。
映画といえばしきりにヌーヴェルヴァーグと言う方々も未だにいて。
そういう私も落語と言えば昭和時代の談志が一番だと思っているのですから。

最初の感動にはなかなか打ち勝てませんね。