スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

《教養のエチュードにおける編集手帳》

27545726_334860690366690_644158947379881641_n.jpg



今回は少し、新たな試みを。
教養のエチュードが記事になるまでの思考過程を紹介するのも面白いのではないか、と思っているいました。
言わば、メイキング・オブ・教養のエチュード。
新しく文章や思考を編集する上で、過去記事や人物にもリンクを掲載しておきました。
オモシロイ人たちばかりですので、ぜひチェックしてみてください。



▼教養のエチュード▼
https://goo.gl/8pCzRk
スポンサーサイト

大切にすること

26047217_317654802087279_5160475941185399125_n.jpg

2017年は様々な出逢いに満ちていました。
好機とアクシデントが寄せては返す波のように交互に訪れ。
その慌ただしさの中で進路を調整しながら、その瞬間瞬間に精一杯力を注ぐ。
それは一人の力ではどうにもならないことです。
支え合う仲間がいて成立する航海。
個人よりも、チームとしての意識を強く感じた一年でした。


悲しみを分け合い、喜びを分かち合う仲間。
世界で何よりも大切な愛おしき家族。
そして、僕の心を豊かに育んでくれた、最愛の妻。


その存在を奇跡のように感じます。
心から感謝します。



《大切にすること》

僕の生活にはテーマがあります。
それは「大切にすること」。
人や物に、美しく、ていねいに接することです。
まだまだできていないことの方が多いですが、心掛けています。


大切にされることで浄化されていく。
心に傷を抱えていても、また良からぬ思考に染まっていても、誰かに大切にされることで清らかな心に変化していく。
デトックスというか、浄水器のように。
「大切にすること」にはそんな力があるように思います。


確信めいたこの考えには理由があります。
それは、自分自身が「大切にされた」から。


妻と出逢い、彼女から慈しみと愛を受けることで僕の心は浄化されていきました。
また、目に映る景色は色鮮やかに変化していきました。
心模様が、実際的な視界にこれほど影響しているとは知りませんでした。


僕は愛することや、信頼することは循環させなければいけないと思っています。
流れる川が腐らないように、想いもただ一方通行ではなく、呼応するように投げたり受け取ったりしないといけない。


その対話の中で、心の通い合う中で、ふとした所作の中で、理解が深まる瞬間や、愛おしさを感じる瞬間や、敬意を抱く瞬間が訪れます。
それらを見つけていく喜びと、複雑に絡み合う感情で深めていく関係性。
自然の中で暮らすと、季節は四種類だけでなく、 二十四節季と七十二候を肌感覚で味わうように。
ただ「好き」の中にも多様性があることを知ります。
そしてお互いが呼応し、浄化し、さらに高め合っていく。


それは奥さんや家族だけでなく、仲間への想いも同じ。
人や物に、美しく、ていねいにいること。


つまり、大切にすること。



《一番のチームに》

僕は僕自身の想う一番のチームをつくりたいと思っています。
それは仲間とつくるチーム。
家族というチーム。
そして夫婦というチーム。
誰が何と言おうと、「僕たちが一番だね」と言えるチームを。


写真は8年前に宮古島に行った時のもの。
写真を整理していて、ふと懐かしく頬が緩みました。
この屈託なく笑う笑顔を、いつまでも守りたいと思います。


今年の春からはじめたFacebook。
見よう見まねではじめた投稿。
まだ分からないことの方が多いですが、来年もよろしくお願いします。

アマデウスに視る芸術論~嫉妬と妬みの違いについて~

アマデウスについての考察



25550593_314686479050778_2245847354267026941_n.jpg



【1】
『アマデウス』という戯曲がある。

宮廷音楽家アントニオ・サリエリが天才音楽家モーツァルトとの出会いにより激しく変化する心を描く。
題名はモーツァルトのミドルネーム、つまりヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに由来する。
アマデウスには「神に愛される」の意味が込められている。



【2】
十月に松竹座へ舞台を観に行った。
九代目松本幸四郎が演じるサリエリを観るために。

サリエリは幸四郎のはまり役だ。
勧進帳の弁慶、ラマンチャの男のドン・キホーテ、そしてアマデウスのサリエリ。

来年、幸四郎は、『白鸚』の名を襲名する。
つまり九代目松本幸四郎の名でサリエリを演じるのは今回が最後ということだ。

舞台は期待を裏切ることなく、最高の出来栄えだった。



【3】
物語のあらすじをざっくり説明する。



サリエリは宮廷音楽家として、社会的地位も名誉もあった。
オーストリア皇帝に仕えるカペルマイスター(宮廷楽長)という、言わばヨーロッパ楽壇の頂点に立つ人物だ。
またベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもあった。
宮廷においてサリエリは何不自由なく(むしろ優雅に)日々を営んでいた。



そこに彗星のごとく現れたモーツァルト。
この若き音楽家は生命力と才能に溢れていた。
ルーキーとして名をあげた彼は、宮廷にも招かれた。



モーツァルトの才能を誰よりも早く見抜いたのがサリエリだった。
宮廷での演奏を聴いたサリエリはモーツァルトが唯一無二の天才であることに気付く。
それは同じ天才的な音楽家だからこそ分かる嗅覚のようなものであった。
世間はまだモーツァルトの隠された才能に気付いていなかった。
ピアノの巧い音楽家の中の一人くらいにしか認識していなかったのだ。



サリエリは激しい嫉妬に燃えた。
それはモーツァルトの煌びやかな才能に対する怒り。
サリエリはモーツァルトの本質を見抜いた。
まだ十分に花が開きってはいないが、その潜在性は驚異的なものであることに一人だけ気付いていた。
それもまた、才能を与えられた者にしか理解のできない世界だった。



敬虔なキリスト教徒であったサリエリは幼き頃から教会で祈る習慣があった。

「私に音楽の才能を与えてください」と。

「それだけでいい、その他のものは何もいらない。
だから、音楽の才能を捧げてください。」
そのためにサリエリは禁欲生活を送っていた。
酒も飲まなければ、ギャンブルもしない、女性との関りも持たない。
勤勉で熱心に。
音楽に対して誠実に向き合ってきたのであった。



サリエリとは対照的に教養もなく、下品で幼児性丸出しのモーツァルト。
しかし、圧倒的な音楽的才能の持ち主。
その嫉妬からサリエリは「若き天才の芽を摘まねばならぬ」と行動を起こす。

「まだ、誰もモーツァルトの才能に気付かないうちに」



宮廷内、または外で邪魔をするのだが、うまくいかない。
その度にモーツァルトの並外れた才能を見せつけれらるばかり。
芸術家の嫉妬に苛まれ、サリエリは遂に、神へ挑戦状を叩きつける。



あらゆる手段を行使し、モーツァルトを追い詰めてモーツァルトを殺してしまう(正確には病死である)。
神への激しい復讐劇を成功させたサリエリ。
しかし、モーツァルトの死後、彼の人生が華やぐことはなかった。
彼は凡庸な曲しか作ることができなかった。
何を作っても、何を弾いても、色褪せて聴こえた。
それはつまり、モーツァルトの作る楽曲のダイナミズムを誰よりも知っていたから。
色鮮やかで、躍動感があり、抒情的で、繊細な。
それ以上の曲を自分には作ることができないということを誰よりも知っていたから。


サリエリは気付いた。
神に復讐した罰はこのことだったか、と。
自分は神を打ち負かしたのではない。
神に背いたことにより、生きながら地獄を味わうという罰を与えれたのだ
、と。
モーツァルトのオペラとその楽曲は彼の死後、様々な劇場で演奏された。



晩年サリエリは孤独に、密やかに過ごした。
 


【4】
『芸術家の嫉妬』が与える自己矛盾。

サリエリはモーツァルトの才能を絶やしたいと思う反面、その圧倒的才能を感知する感受性のない世間に対して苛立っている。
すばらしい交響曲を書き上げ、指揮をとったモーツァルト。
作品の美しさやそこに秘めた可能性に感動するサリエリ。
しかし、皇帝は欠伸をしながらその演奏を眺めていた。


才能を感知するためには、それ相応の感性が必要になる。
サリエリはモーツァルトを憎しみながらも、その裏側で彼の作品を溺愛していたのだ。


そして、その凄さ(モーツァルトの作品の)を分からない世間にうんざりしていたように思う。



【5】
神への復讐。

サリエリの怒りは

「どうして私はこんなにも真摯に音楽に向き合い、お祈りもしてきたのにモーツァルトの方が才能があるのだ」

というところにある。
下品極まりなく、私生活も淫らな彼にどうして神は微笑んだのだ、と。

「音楽の才能をお与えください」と祈り続けた。
しかし、神が音楽の才能を捧げたのはサリエリではなく、モーツァルトだった。
皮肉にも、神はサリエリにそれを聴き分ける「耳」しか与えなかったのだ。

クリエイターと批評家の壁がそこにはある。
良いものを作ることと、良いものが分かるということには分厚い壁がある。



【6】
嫉妬と妬みの違いについて


嫉妬は主に、自分が所有する何かを奪われる危機感、または恐れに対する言葉。
自分の好きな人が自分ではない別の誰かを好きになるのではないだろうか、など。


妬みは羨ましさから相手を引きずりおろしたいという感情。
自分より後に入社したにも関わらず、重要なポジションを与えられた者に対して抱くような。
いじわるをしたり、相手の不幸を祈ったり、そんな負の感情がある。


嫉妬の感情は女性が多く、妬みの感情は男性に多いらしい。



【7】
良性の妬みと悪性の妬み


妬みには良性と悪性の二種類がある。

人を傷つけたり、引きずりおろしたりするのは悪性の妬み
相手のすごさを客観視して、自分も頑張ろうという心の動きが良性の妬み


試験の成績が良いライバルの悪口を言って評判を落とそうと考えるのが悪性。
ライバルの凄さを認め「あの人にもできたのなら自分にもできるはずだ」「自分も相手に見合うように頑張ろう」とマインドを切り替えるのが良性。



【8】
タイガーウッズの有名なエピソード


2005年に行われたトーナメント。
決勝でライバルと接戦になり、相手がパットを外せばウッズの優勝が決まるという場面。

後のインタビューでウッズは「入れ!」と願ったという。
こんなところで外すような相手は自分のレベルに合わないという気持ちがあった。
つまり、自分と接戦する相手なのだから精神的にも肉体的にも一流であってほしい、という超越した精神がそこにはある。

結果は、ライバルがパットを決めることができず、ウッズの優勝が決まった。



【9】
アンドリュー・カーネギーの墓碑に刻まれた言葉。


アンドリュー・カーネギーといえば、言わずと知れた鉄鋼王の名だ。
彼の墓碑にはこのような言葉が刻まれている。


「自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。」

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.


自分よりも能力の高いものを毛嫌いし、敵対視するのか。
それとも相手の能力を求め、仲間として迎え入れるのか。
どちらの方が大きな事業を成し遂げることができるのかは明らかだろう。



【10】
以上、1~9の項目からアマデウスという作品から学び取れるところ。


サリエリが悪性の妬みにかられた芸術家であることは誰の目にも分かる。
そしてそのあまりに人間的な営みの中に文学性と芸術性が潜んでいることも読み取ることができる。
目を伏せたくなるような人間の汚い感情。
行動に移さなくても、自然と心に湧き上がる邪念。
それは普遍的な芸術のテーマと言える。


また、タイガーウッズのように志を高く持つメンタルトレーニングは必要不可欠である。
ウッズの精神性は一日や二日、いや一年や二年で育まれたものではない。
日々の積み重ね、そして自分という人間の持つ可能性を信じることの重要性にある。


アンドリュー・カーネギーのように相手を認めることができれば。
そのためには自分を認めることも必要だろう。
相手を認めてばかりで、自分がそこへアクセスできなければ何の意味もない。
自分という歯車を相手に合わせることで、より大きな効果を見込める。
その発想の転換と、知恵、行動力は不可欠だ。


妬みのエネルギー転化。
一時の感情ではなく、長い目で見た時に自分や組織に成長をもたらせるものの捉え方に宝がある。
喜びだけでなく、怒りや悲しみをエネルギーに変える。
あらゆる感情を行動力や、未来に訪れるであろう布石にすることで、そこに意味が生まれる。
意味が生まれるということは、物語が生まれるということだ。


数々の社会的な成功者にインタビューをしてきた。
彼らの中で共通するのは、「成功までの間に、数多くのピンチや失敗があった」ということだ。


それらは成功の物語に奥行きと感動を与えてくれるスパイスだ。
失敗やピンチは人生をドラマティックにさせる。


少なくとも私がインタビューをした人間には皆、ドラマがあった。
平坦に成功した者などいない。


ここから学ぶことができるのは、失敗したら「しめしめ」という気持ちだ。
オセロの黒石を一息に白に裏返す快感が未来には待っている。


人生の全てには意味があるような気がする。
その意味づけ(物語化)をするのは自分自身の責任だ。
ふと見つめ直してみれば、ただのゴミが、光る石に見えるかもしれない。

歴史に学ぶ次なる一手。

地政学からの政治。



『嶋津亮太の解体新書』というネットの番組で、お酒と文学についてのことを話しています。
ひとえに酒と言っても、醸造酒や蒸留酒それぞれの背景には歴史があり、それはとても興味深いものです。
「酒をつくる」という目的で酒が製造されることよりも、気候的、または政治的な理由による偶然から生まれることの多さ。


例えば
・スコッチなどの樽熟成されたウィスキーの誕生は酒税法によるもの。
・ラム酒は黒人との三角貿易によって世界中に広まったこと。
・アメリカでの禁酒法が、優秀なバーテンダーを世界に輩出したこと。

など。


調べれば、調べるほど面白い物語と出会います。
そんな酒に関する歴史を学んでいて思うことがあります。
それは単純に歴史の背景にロマンを味わうだけでなく、世界の大きな流れを把握しておくべきだ、ということです。





視野を広く持つことの重要性。

海外に行くことで、「既成概念が崩される」という感覚を味わうことがあります。
日本にいて、テレビや新聞だけを頼りに生活していることの危険さ、といいますか。
報道されていないこともありますし、報道されていたとしても違った様子で事実として流れていたり。
自分から積極的に情報に対してアプローチしていくことは必須だと思うのですね。


少なくとも、「世界ではこのようなことが起きている」ということを知っているだけでも違います。
報道の差を知ることもそう。
その差にどのような意図があるのかをイメージすれば、今まで見えなかった糸が浮き上がってきます。


一方からの視点に肩入れして騒ぐよりも、世界では多面的な視点があり、その価値観によって事実が切り取られているものなんだ、という認識の方が健康的だと思うのです。
だって、真実は分からないのだもの。
直接見たわけでも、聞いたわけでもない。
報道された時点で既に意図的な編集が行われていて、切り取るのも編集だし、演出するのも編集だし、流さないのも編集。
国、企業、人、それぞれお互いに正義があるから、何が正しいのかというのは本当のところ分からない。


多面的な発信を材料にして、真実のようなものを浮き彫りにしていく。
それを自分の頭で判断するというのがベストなのではないのでしょうか。
小説でいうところの『壬生義士伝』(浅田次郎氏)のような形式で。





流れを観る。

グローバル化からローカリズムへ。
という、ここ数年の流れ。

時代はいつでも揺り戻しが起こります。
新たなカルチャーにはその都度、カウンターカルチャーと呼ばれるものが生まれます。
ファッションでも10年単位で螺旋を描くように、僅かな変化を伴いながらぐるぐると流行が押し寄せます。

右に偏り過ぎると、左への力が働き、左へ傾くと、右への力が生まれる。
つまり、バランスをとりながら前に進んでいくというのが今までの歴史です。


なので、歴史を振り返り、今と似たような状況を照らし合わせれば、国であれ人であれ、相手が何を考えているのかは分かってくる。





テレビや新聞が全部じゃないんだぜ。

当たり前のように日々報道されているニュースの中でも、全てを信じるのは危険です。
良いことを言った、悪いことを言った。
そんなことで簡単に善悪を決めるのはおすすめできません。


自分の利益のためなら平然と良いことを言う人は多いですよね。
というか、悪い事でも、良い事のように演出する力だって持っています。


例えば、アメリカ合衆国の建国の歴史からも、おもしろいことが読み取れます。


アメリカ人というのはほとんどがヨーロッパからの移民です。
大航海時代、コロンブスが西インド諸島を発見し(1492年)、それを皮切りにイギリス、フランス、オランダなどの西欧諸国が新大陸に植民地を建設しました。
(もっとも、アメリカ人の祖先として1620年にイギリスで迫害を受けたピルグリム・ファーザーズと呼ばれるピューリタンが移住したことがアメリカのはじまりとされています)


北米大陸では、イギリスとフランスが先住民を巻き込んで領土争いを繰り返していました。
イギリスはフランスとの戦争に勝利し、ミシシッピ川以東のルイジアナとカナダを手に入れます。
そうこうしているうちに、イギリス領に住む人々が自由を謳い、イギリス本国と独立戦争をはじめたのですね(ざっくり説明)。
アメリカ独立宣言(1776年)とは言いながらも、先住民の権利や黒人奴隷は黙殺して推し進めてきたのが事実なのです。


独立宣言をしたのは東の13州のみ。
それから独立戦争を経て、イギリス領を併合し、さらにはフランス領、スペイン領だったフロリダまで次々と買収します。


しかし、西海岸はまだアメリカではなかった。
北米大陸南西部はメキシコ領でした。
「ロサンゼルス」「ラスベガス」「コロラド」「サンフランシスコ」などのスペイン語の地名はその名残です。


メキシコ領への侵略はテキサス独立に始まります。
メキシコ政府に許可を得てテキサスの荒れ地に入植したアメリカ人は次第にその数を増やしていく。
やがて民主主義である多数決の論理によってテキサス共和国の独立を宣言します。
これが民主主義の怖さでもあります。


つまり合法的に、領地を奪ったことになります。


そしてアメリカは、テキサス併合に不満を持ったメキシコとの戦争に勝ち、結局カリフォルニアまで領土を広げました。



因みに、2014年にロシアがウクライナからクリミア半島を奪った時も住民投票による結果でした。

今、隣の大国が日本の領海に進出しているのも同じ方法です。
いつか沖縄県に住む人々の自己決定権を利用する日が近いかもしれません。



トランプ大統領が「メキシコに壁を作る」と豪語していましたが、遡ればあの一帯は元々メキシコ領だったのですね。



ざっくりと建国から領土を広げていった過程をおさらいしましたが、「自由」とは言いながらもかなり利己的な自由を謳っているように感じます。

それでもアメリカは他国のことは非難します。
それはそうです、自国を守るため。

それはどこの国であれ同じこと。
自分が有利なように次なるステップを踏んでいくのは当たり前のことです。


地政学的に、その国が何を求めているのかを考えながら、世界情勢を眺めてみると、また新たな発想や思考が浮かぶのではないでしょうか。
他国の意図を読み解きながら、自国の動き方を考える。
大局観という言葉が棋士である羽生善治名人によって広められたことがありますが、そんな大局的な視野を持つことで自分の位置を把握することが重要であると思います。





参考文献:茂木誠氏の『世界史で学べ!地政学』

想像力を利用する。

「相手の想像力を利用しなきゃならんのです」



昨日、お店でとあるお客さんと会話していた中での言葉。
シンプルであるが、興味深い。
その言葉は、うねりをつくりながら体に入ってゆき、胸の落ち着きにまでくると、そっと響いた。


その方は仕事で世界中あちこちを飛び回っている方。
国の重役相手に商談をまとめる。


大抵はウェルカムなもてなしを受けるけれど、時と場合によっては招かれざるシチュエーションにも出くわす。
あらゆる状況でも、その方は一人で乗り込むのだという。
秘書もつけない、運転手もつけない。
その名の通り、孤立無援。



でも、それには明確な理由がある。

「外国から一人で来た人間を、誰も無下にできないでしょう?」

誰よりも真摯に待遇してもらうために一人で行くのだと。

「団体で行けば、団体として扱われる。一人で行けば『よくぞ来てくれた』という扱いになる」



面白いのが、招かれざる客の立場でも必ず一人で乗り込むということ。

「一人だとね、相手がビビるんです。『コイツ、実はとんでもない力を持っている奴なんじゃないか』とか。『コイツの裏には大勢の仲間がいるんじゃないか』とか。勝手にね、色々考え出すんですよ」

相手の想像力を使う、言わば相手の知らない自分ののりしろをイメージさせる。
このありえない状況を脳は勝手に論理的な答えを導こうとするため、相手は自ずと驚愕の想像力を発揮する。
それは、こちらの空白が多ければ多いほどに。


空白は残さなければならない。
そして、ある種のハッタリが、相手のリズムを崩し、空気を制することに繋がる。


これは商談だけでなく、あらゆる仕事に言い得ることだと思う。
もちろん小説家、演劇における演出家や、映画監督などの芸術の分野でもこの能力は求められるだろう。
観客の想像力を最大限に利用して、事実以上の効果を引き出す力。


「マニュアル本なんて捨ててしまえ。あんなもの、みんなと横並びになるためのもの。そこから抜きん出ようと思えば、誰もやらないことを考えろ。そうしなければ相手は自分に興味を持ってくれない」


1000人の中の999人として見られるか、特別な1人と見られるか。
それは自分の行動次第。
チャンスは誰しもに平等に与えられている。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。