河内のカフカ 第六話

 連載小説『河内のカフカ』第六話

八尾で生まれ、八尾で育ち、八尾の工場で働く青年、水原翔平。
ある日、目が覚めると「虫」ではなく、「標準語圏内の人間」になっていた!

これまでのストーリーは《こちら》をご覧くださいませ。



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河内のカフカ 第五話

連載小説『河内のカフカ第五話

八尾で生まれ、八尾で育ち、八尾の工場で働く青年、水原翔平。
ある日、目が覚めると「虫」ではなく、「標準語圏内の人間」になっていた!

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河内のカフカ 第四話

連載小説『河内のカフカ』第四話

八尾で生まれ、八尾で育ち、八尾の工場で働く青年、水原翔平。
ある日、目が覚めると「虫」ではなく、「標準語圏内の人間」になっていた!

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「弾道ミサイル……か」

丈の短いパジャマを着た翔平は宙を見つめ一人、布団の中で呟いた。
八柳裕の言葉である。



**********



「お前は金正恩やねんって! 」
例によって口から唾(つばき)を飛ばしながら八柳は言った。
白く泡のようなそれは月のあかりに濡れ、彗星のように光を放ち、そのまま見えなくなった。
「どういうことなの? 」
「お前はもうミサイルを飛ばすしかないねん! 」
沈黙が流れる。
聴こえてくるのは玉串川のたおやかなせせらぎだけだ。
あまりにも話が唐突で、あまりにも風が穏やかで、あまりにも桜と月のコントラストが美しい。
その夢に似た状況に翔平は急な睡魔に襲われた。
花の香りが妖しく漂う。
それは川上から川下へとゆったり流れゆく。
スイープタイプの時計の針のように、こよなくなめらかに。
もしかすると、今起きていることは全て夢なのではないか。
それにしても長い夢だ。春眠暁を覚えず。晴れない霞に桜の花びらが舞い踊る。
「何をぼんやりしとんねん」
「え? あ、ごめん。なんか急に眠たくなった」
「このタイミングで? 竜ジイか! 」
そう言って翔平の頭をはたいた。
「そういや、竜ジイ亡くなったね。淋しいよね」
叩かれた頭をさすりながら翔平は呟いた。
「お前な! 」
八柳の顔が小刻みに震えているのが分かる。
「何を竜ジイに引っ張られて、そこ広げとんねん!」
そう言ってまた唾を飛ばす。
そのパクパクした口が鯉のようで翔平は笑いそうになったけれど、今笑うとまた怒られると思ったので違うことを考えようとした。
にしても、どうして竜ジイのことを話して怒られるのだろうか。
翔平には解せなかった。
話し始めたのは八柳の方なのに、そのことについて感想を述べただけでこのような扱いを受ける義理はない。
思ったことくらい言ってもいいじゃないか。
いや、待てよ。
翔平は思った。
以前の自分ならば、確かに裕と同じような気持ちになっていたかもしれない。
はっきりとした理由を説明することはできないのだが、記憶の奥の方で、裕が怒る理由がなんとなく翔平にも分かるような気がした。
八柳はまだ鯉みたいに口をパクパクさせてぶつくさ言っている。
また押し寄せかけた笑いを堪え、気を紛らわすために翔平は言った。
「ごめんごめん、何の話だっけ? 」
お前の恋の話や!」
「え?……君の鯉の話でしょ? 」
その時、じゃばらん、と玉串川の水面に鯉の跳ねた音がしたので、翔平は堪えきれず噴いてしまった。
玉串川に映し出された丸い月と桜の木が煌めきながら世界を歪めた。



**********



「もうお前は発射ボタンを押すのみ、分かる? 」
玉串川沿いの高井公園、バネで動くブリキの遊具に跨った八柳は言った。
内股でベンチに座る翔平はぽかんとしている。
足の長さに慣れていないため、そうする他ないようである。
トランプがシリアに59発のミサイルを撃った。これの意味分かる? 」
ブリキの遊具の動きにつられないようゆっくり首をかしげる翔平。
北朝鮮、お前分かってるやろうな?っていうトランプのメッセージやんか」
今度は反対方向に首をかしげる。
跨った遊具を揺らしながら八柳は意気揚々と喋る。
「本来は起こるはずのないことが実際に起きてん。誰もトランプがミサイルを撃つなんて予想してへんかった。でも起きたやろ。起きてしまったら、北朝鮮は行動で示すしかない」
「ごめん、ねぇ、何の話しているの?」
「だから! お前がイケメンに生まれ変わった。こんなこと起きるはずのないことやん、絶対に。でも実際に起きてしもた。起きてしまったら、お前は行動で示すしかない」
そう言って八柳はブリキの遊具から飛び降りた。
「神田さんに告白やん」
決め台詞を吐いた役者のように、八柳の表情は恍惚としている。
「え?……無理無理無理
「無理ちゃうねん、これはチャンスやねん! 」
「何がチャンスなんだよ? 」
「ミサイルを撃つ格好のチャンス!」
「こんなの別にチャンスでも何でもないよ! 」
思わず立ち上がった翔平。
肩を上げて内股のなよっとした姿である。
「アホやなぁ、お前は。じゃあ、前までのお前やったら神田さんと話すことできてたんか? 」
思わず口をつぐむ。
「神田さんのあの表情見たやろ。あんなもん、ごっつぁんゴールやろ。お前がイケメンに生まれ変わらんかったら神田さんみたいな美人は、一生お前みたいなしょーもない男に焦点を合わせることさえなかったはずや」
「それはいくらなんでもひどいよ」
「でもホンマのことや! でも奇跡が起きてん。イケメンに生まれ変わったちゅうことは、神様がお前にミサイルを撃つチャンスをくれたっていうことや! 」
「ちょっと待ってよ……でも、裕は何でそうやって僕に告白させようと必死なの? 」
八柳は目を細めて翔平を見据えた。
「俺は、トランプとチョコレートケーキを一緒に食べとった習近平
「は? 」
「トランプに、北朝鮮どうにかしてくれ言うて無言の圧をかけられたわけよ。アシスト、アシスト
そう言って持ち上げる身振りを見せた。
翔平の中で八柳の目を細めたその顔が習近平と重なった。
「じゃあ、むしろ僕のミサイルを止めないとダメなんじゃないの? 」
目を閉じながら慈しむように翔平はかぶりを振った。
「サイは投げられたんや。ミサイルが放たれるのをただ待つのみ」
遠くを眺め、自分の世界に浸る八柳。
「ちょっと待ってよ、じゃあ本当の僕はどこ行ったの?」
「え? 」
「だって本当の僕がどこに行ったのかっていうのも大事じゃないの? 」
言われてみればそうだ、と考えた挙句、八柳の口から出た言葉。
「本当のお前は……金正男
「正男…………殺されてんじゃん! 」
玉串川の夜の桜並木、その間を流れる風は身を潜めるように凪いでいた。



つづく

期間限定公開【河内のカフカ】

河内のカフカ



連載小説『河内のカフカ』を期間限定で公開します(連載途中の部分まで)。
普段よりエンターテイメントを意識して執筆に当たっています。
ブログとして考えれば少し長いですが、是非読んでみてください。


お話は、八尾で生まれ、八尾で育ち、八尾の工場で働く青年、水原翔平。
ある日、目が覚めると「虫」ではなく、「関東人」になっていた!
というところから……


感想・意見などを頂けると嬉しく思います。








ある朝、翔平はからりとした掛け布団の匂いで目が覚めた。
それはカーテンの隙間から差し込んだ光が、檸檬のように健やかな黄色い輪を頬の上に落としていたからだ。
細かい泡を立てて血が沸騰するように、こそばゆい頬に手を当てると春の光にほくほくと緩んだ土のぬくもりを感じた。
冬ごもりしていた虫が踊りながら這い出るような陽気さに、いくらか微笑みがこぼれた。
ただ頬の上の左手に違和感を覚えたのも事実だった。
翔平はゆっくりと左の手のひらを顔の前に広げた。
それは翔平の知る左手ではなかった。

指が長かった。

それも指の付け根から第二関節に向けての辺りがすらりと伸びていた。そして日差しの上で光を放つように、その色は驚くほど白かった。
まるでピアニストのようだ。
翔平はそう思った。
しかし翔平がピアニストと呼ばれる職業についた人間の手を細かく見たことは今までに一度もなかった。
印象とはそのようなものである。
翔平は手のひらを開いたり閉じたりした。
そして、右手も同じように光にかざしてみた。
それは模型の豪華客船という質感よりも、いくらか爬虫類に似た艶めかしさがあった。
手の甲に黒々とした毛が一本も生えていなかったからかもしれない。
それでもよく見ると、つるりとしているようでいて実際には細かな産毛が金色になびいていた。
朝露に濡れた桃を思い出した。

翔平は思った。
これは自分の手ではない。
そして以前の自分の手を思い出そうとした。
しかし、うまくいかない。
霞の中で黒い影が左右に動いている。
しかし、その実態は掴めない、というなんとももどかしい気分だ。
覚えていた夢の出来事が、砂が手のひらの間をさらさらと落ちていくように、記憶が次から次へと消えていく。
そして最後には夢を見たということだけを覚えている、といった間抜けな状態に成り果てるのだ。


「しょうへーい。はよぉ、おきんかーい」


母、加奈の声は階段を一気に突き上がり、扉を抜けて届いた。
スマホを見ると、液晶の中の布団太鼓の上で浮き上がった数字の列が、今の時刻を指していた。



「しょうへい、はよぉ、支度せんとまた遅刻すんで」
加奈は階段から降りてきた翔平に目もくれず三つの弁当箱それぞれに具材を詰めている。

「こないだもあれやろ、あんた、専務にえらいどやされたんやってな。ヒロ坊がいうとったわ。『おばちゃん、翔平せんぞしばかれとったでぇ。そら三回目はさすがに手ぇでるわなぁ、専務も』いうて。ほんま、ちゃんとせなあかんで。おかぁちゃん、知らんやん、その前に二回も遅刻してんの。あんたこっから工場までチャリで10分言うてたやん。ほんまかいな、えらい早いなぁ~、若さのなせる業やなぁ思うとったけど、なんてことあらへん、どんなけ必死こいてこいでも25分かかる言うてヒロ坊いうとったで」

淀みなく話す加奈は、口を動かしながらもその倍、手まで動かした。
「お母さん、美樹は? 」
「美樹? さっきドライヤーの音聴こえとったから、もうシャワー終わったんちゃうか? 」
「そう、ありがとう」
「って、あんたちゃんと聞いてたん? 専務のこと。今日怒られたらあんたクビやで。トランプもおらんのに。工場クビなったとか聞いたらお母ちゃん恥ずかしぃて青山通り歩かれへんわほんま」
そこまで言って手が止まる。

「…お母さん? 」

加奈が見上げた視線の先には既に翔平の姿はなかった。



水の流れる音がしてトイレから父、治が出てくる。
右手には折りたたんだ新聞紙。
「トランプえらいこっちゃなぁ。ほんまにメキシコに壁作るんちゃうやろか」
禿げた頭に似合わぬ訝し気な表情は役所勤め30年の深い皺に趣を与えた。
「ちょっと、父ちゃん新聞トイレに持っていかんといて、臭なる」
「ええやんけぇ、臭なるって、どっちかいうたら臭い消すもんやろ新聞は。どうせ捨てんねやし」
「『けぇ』って言わんといて、下品やわ。そんなことより、はよスーツ穿いて。カッターシャツに股引でうろうろせんといて、みっともない」
「何いうてんねん、お前も河内の女やろ。ワシ、『けぇ』言わんかったらちゃんと喋られへんわ」
「河内いうても寝屋川の方の北河内です。大和川より淀川寄りやから一緒にせんといて。まるで『けぇ』言うたらちゃんと喋れるみたいな言い方して」
「喋っとるやないか」
「喋ってるんと、喋れてるんは意味ちゃうから」
「あほか! だぁっとけ!」
ずずずと音を立ててコーヒーを飲む治。



翔平は洗面台の前に来て驚いた。それは鏡に映った自分に対する驚きである。目を見開き、両手で顔に触れる。

「え……君は、誰? 」








「いや、そないなこと言われてもな」

そう言って頬をぽりぽりかく専務の吉村。
薄くなった頭髪の隙間からはグランドキャニオンの大地のごとく赤肌が広がっている。
毛先に溜まった汗の雫は光を取り込んでまた別の場所へ送ることで虹の卵のように煌めいていた。
「君が水原って言われても……」
困り果てた顔で吉村は翔平を見つめている。
「いや、あの、専務。本当に僕です。水原翔平です」
翔平のその言葉に吉村はさらに困惑した。
「あのな、君、ほんまのこと言わなあかんで。水原に頼まれたんやろ? 」
翔平は勢いよくかぶりを振った。
「専務、本当です。信じてください。朝起きたら、こんな姿になっていて。家族も驚いて、いや、何より僕自身が一番驚いています! 」
吉村は節ばった右手で薄い髪をかき上げた。
頭を撫でることで混乱を治めようとしたのかもしれない。
厚い掌にかき上げられた髪は細かい汗の飛沫を放ち、それは植物が胞子を飛ばすように、霧となって空気の中へ溶け込んだ。
「とりあえず、水原に連絡してもらえるか? 」
その言葉を聞いて翔平は吉村の腕を両手で掴んだ。
「本当なんですって! 専務、信じてください! 」
思いのほか力が強かったのか翔平は吉村の体を大きく揺すった。
「あぁ、もう! やめぇ、やめぇ! 」
吉村は体を振り切った。
「あんな、兄ちゃん、大人をなめんのもえぇ加減にせぇよ。水原に何を頼まれたんか知らんけど、ワシもそんなしょーもないことに付き合ってられへんねん。あんな、とりあえず水原に今すぐ工場に来いっちゅうて言うとけ。来んかったらクビや、いうて」
そう言って吉村は背を向けて行ってしまった。
冷静に考えれば当たり前のことである。
人間が一夜にして別人に成り変ることなどあり得るはずがない。
吉村が怒るのも当然だ。
家族ですら同じような反応だった。


**********


「あんた誰? 」
そう言って加奈は持っていた弁当箱を滑らせてテーブルの上に落とした。
「あぁ! 俺の弁当! 」
股引の上からスーツのズボンを穿きかけていた治が前のめりになって転がった。
「お母さん、俺……こんな顔になってる」
加奈はあんぐり口を開けたまま翔平を見つめていた。
「おい、俺の弁当! ガコンってなってる! 俺の弁当! 」
転がったままテーブルの下で喚く治。
「……父ちゃん…翔平」
我が妻のその声の落ち着き様に治はやっと異変に気付き、視線を翔平に移した。
そこへ何も知らずに入ってきた妹の美樹。
「ちょっとお兄ちゃん、邪魔。早くご飯食べな遅刻する」
翔平を押しのけ、加奈と治が固まっているリビングのテーブルに着く。
「お母さん……お母さんって言ったあの人」
そう力なく呟いた加奈。
治はまだスラックスへ両足を半端に突っ込んだまま。
ようやく違和感に気付いた美樹が翔平を見た。
「え? …………お兄ちゃん? 」


**********


「あの、君…」
振り返ると作業服を着た八柳裕(ひろし)がいた。
「裕! 」
その声に八柳は一瞬体を後ろに仰け反らせた。ためらいながらも言葉を続ける。 
「翔平? お前、ほんまに翔平なん? 」
疑うような視線で新しい外見に変貌した翔平を見つめる。
翔平は昔から付き合いの長い八柳が自分を見る表情が、今まで知っているものとは遠くかけ離れた別人のようで奇妙な感覚を覚えた。
自分の姿が変われば相手が自分を見るその顔も変わるということをこの時、鮮明な印象として受けた。
「本当だよ! 裕、信じてよ。俺、今朝目が覚めたらこんな姿になってたんだ! 」
「うんうん、分かった分かった、ちょっと待って……っていうか何なん? その喋り方」
「喋り方? 」
「キモない? 」
「え? 」
「その、テレビドラマとかで下手な役者が喋ってるみたいな、それよ」
翔平は前の自分の話し方を思い出そうとしたけれどうまくいかなかった。
酔いつぶれた瞬間を覚えていないように、それはきれいに記憶から姿を消していた。
「じゃあ聞くけどな、お前の好きな子の名前は? 」
訝し気な八柳が質問した。
「……神田さん」
その言葉に八柳の表情が一変した。
「え? ほんまに翔平なん? え? ほんまに? 」
まだ話す距離は遠いが、柳は少し翔平のことを信じたようだ。
「さっきから言ってるだろ。本当なんだよ。」
「え? 何? どっかの神社の女の子と入れ替わってるとか? 」
「は? 」
「朝起きたらおっぱい揉む、みたいな? 隕石が落ちる、みたいな? 三年前のことやった、みたいな? 」
「は? 」
「君の名は? 」

「……は? 」








「なるほどな、中身はお前なんや」
作業服のポケットに手を突っ込んで神妙な面持ちの裕は確かめるように歩みを進める。
視線は斜め下。
足の裏が地面にべったりと着いてからもう一方の足を前に出す。
そのもっちゃりとした速度に合わせ、翔平は自転車を押す。
二人の影が伸びる。
夕暮れの時間が少し長くなった。もう春である。
「うーん、分かりにくいなぁ。外見が自分で中身が変わるっていうのが普通じゃない?」
「普通ってどういうこと?」
「え? ほら、どこかの街の女の子と入れ替わるとかさぁ」
「それのどこが普通なの?」
翔平のその言葉を聞いて、八柳は立ち止まった。
「え? お前『君の名は』見てないん? 」
穏やかな風が二人を包み込んだ。
大きく見開かれた二つの眼(まなこ)に黄昏の光が反射した。翔平がぼんやりその間の抜けた顔に見とれていると、どこからだろうか、一片(ひとひら)の小さな白いものが二人の間を流れて行った。
桜だろう。
きっと玉串川から風に乗って運ばれてきたのだ。
水面(みなも)の上に揺れる満開の桜の木が翔平の頭の中に映し出された。
春である。

「そらアカンわ! あれは見んと! 去年の夏お前は何しとったんや? 」
咆哮のように激しく弁じる八柳、文字通り口角の泡を飛ばした。
「何って…別に」
「しょーもない人生過ごしとんなぁ! お前は」
昨年流行した映画を観ていなことがそれほど気に障ったのか、八柳は歩調を速めて歩き出した。
おいそれと翔平は自転車を押して後を追った。
「え? っていうか何なんお前」
「え? 何が? 」
「入れ替わってへんねやったら、お前のその見た目は誰やねん?」
「いや、誰って言われても」
「その癇に障るイケメン面は誰のもんやねん! 」
歩く速度に合わせて八柳の言葉も次第に速くなっていく。
「そんなの、こっちが知りたいよ」
「あぁ~! もうやめてくれ!」
急に立ち止まり、耳を搔きむしる八柳。
「その喋り方、イライラする! 虫唾が、虫唾が、虫唾が世界記録叩き出す!」
「……世界記録? 」
「そんくらい全速力で走っとるっちゅうこっちゃ!」


**********


ねっとりと絡みつくようなサックスの音色、焙煎された芳ばしい豆の香りに包まれる。
翔平と八柳はアリオの中のスターバックスにいた。
レジまでは7、8人が並んでいる。
「はぁ、緊張するなぁ」
翔平は身を強張らせた。
肩は上がっているのに腰が引けている。
重心のしっかりしない不自然な姿勢である。
「ねぇ、僕の服装ちゃんとしてる?」
「ちゃんと、って今日お前働いてへんから何も汚れてへんやんけ」
「裕、そんなこと言わずちゃんと見てよ」
「お前、見た目はイケメンやのにホンマ中身は翔平やなぁ。なんかこれでやっと翔平に会えた気がするわ」
そう言って八柳は翔平の服装を確認する。
翔平はそわそわしながら八柳の言葉を待つが、なかなか返事がこない。
八柳は翔平をじっと見つめている。
「ねぇ、どうなの、裕」
「お前、めっちゃ男前やなぁ」
「は?」
「いや、何、その……普段の作業着でも着る奴が変わればこんなにかっこええ感じになるもんやなぁ」
八柳は手足の長い新しい翔平、その作業着を着こなす様に惚れ惚れと見とれた。
「ねぇ、それは褒めてるの? どうなの?」
「うるさいなぁ、褒めてんねやないか!」
そう言って翔平の背中を叩くと、翔平は前のめりになってレジのカウンターに手をついた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
見上げると襟を立てた黒いポロシャツに緑色のエプロンを身にまとった神田真奈の姿があった。
すでに順番が回ってきていたのだ。
「あ……その…こんばんは」
真っ直ぐな瞳で見つめる神田に翔平は言葉を詰まらせた。
「あぁ、いつもご苦労様です。アイスコーヒー2つで」
後ろから八柳がやってきて翔平の背中を擦りながら言った。
「こんばんは。はい、アイスコーヒー2つですね?」
「そうそう2つで。あの、神田さん……っすよね?
神田は目を丸くした。
「え? ……はい、そうですけど」
「いやぁ、何ていうか、こいつ俺の連れでね。いつも言ってるんですよ」
急に神田に話しかけはじめた八柳に翔平は驚き、腕を引っ張り、やめさせようとする。
神田は目を丸くさせてじっと見つめている。
「やっぱ神田さんええなぁ、いうて。その、なんちゅうか、エプロンの緑が映えとるなぁって。小池百合子より緑が似合うでぇ、いうてね」
神田はくすっと笑い、後ろから八柳を羽交い絞めする翔平に、
「どうも、ありがとうございます」
と言った。


**********


「ちょっと、何で急にあんなこと言うんだよ!」
奥のテーブル席に座った翔平と八柳。
「忖度や。忖度」
ストローをチューチューさせて涼し気な顔でアイスコーヒーを飲みながら八柳は言った。
「有難いと思え」
「でも、どうして急に?」
すると八柳は翔平に顔を近づけ、片方の口角を上げながらこう言った。
「神田さん、お前に惚れとるわ」
「は!? 」
「いやぁ、すげぇなって思った。イケメンはすげぇな。お前を見る目が今までと全然違うかったもんな」
翔平の頭は真っ白になった。
それから徐々に周りの雑音が聴こえなくなっていった。
そしてゆっくりとカウンターの方へ視線を移すと、頬を赤らめた神田真奈と目が合った。



つづく




河内のカフカ 第三話

連載小説『河内のカフカ』第三話

八尾で生まれ、八尾で育ち、八尾の工場で働く青年、水原翔平。
ある日、目が覚めると「虫」ではなく、「標準語圏内の人間」になっていた!







「なるほどな、中身はお前なんや」
作業服のポケットに手を突っ込んで神妙な面持ちの裕は確かめるように歩みを進める。
視線は斜め下。
足の裏が地面にべったりと着いてからもう一方の足を前に出す。
そのもっちゃりとした速度に合わせ、翔平は自転車を押す。
二人の影が伸びる。
夕暮れの時間が少し長くなった。もう春である。
「うーん、分かりにくいなぁ。外見が自分で中身が変わるっていうのが普通じゃない?」
「普通ってどういうこと?」
「え? ほら、どこかの街の女の子と入れ替わるとかさぁ」
「それのどこが普通なの?」
翔平のその言葉を聞いて、八柳は立ち止まった。
「え? お前『君の名は』見てないん? 」
穏やかな風が二人を包み込んだ。
大きく見開かれた二つの眼(まなこ)に黄昏の光が反射した。翔平がぼんやりその間の抜けた顔に見とれていると、どこからだろうか、一片(ひとひら)の小さな白いものが二人の間を流れて行った。
桜だろう。
きっと玉串川から風に乗って運ばれてきたのだ。
水面(みなも)の上に揺れる満開の桜の木が翔平の頭の中に映し出された。
春である。

「そらアカンわ! あれは見んと! 去年の夏お前は何しとったんや? 」
咆哮のように激しく弁じる八柳、文字通り口角の泡を飛ばした。
「何って…別に」
「しょーもない人生過ごしとんなぁ! お前は」
昨年流行した映画を観ていなことがそれほど気に障ったのか、八柳は歩調を速めて歩き出した。
おいそれと翔平は自転車を押して後を追った。
「え? っていうか何なんお前」
「え? 何が? 」
「入れ替わってへんねやったら、お前のその見た目は誰やねん?」
「いや、誰って言われても」
「その癇に障るイケメン面は誰のもんやねん! 」
歩く速度に合わせて八柳の言葉も次第に速くなっていく。
「そんなの、こっちが知りたいよ」
「あぁ~! もうやめてくれ!」
急に立ち止まり、耳を搔きむしる八柳。
「その喋り方、イライラする! 虫唾が、虫唾が、虫唾が世界記録叩き出す!」
「……世界記録? 」
「そんくらい全速力で走っとるっちゅうこっちゃ!」


**********


ねっとりと絡みつくようなサックスの音色、焙煎された芳ばしい豆の香りに包まれる。
翔平と八柳はアリオの中のスターバックスにいた。
レジまでは7、8人が並んでいる。
「はぁ、緊張するなぁ」
翔平は身を強張らせた。
肩は上がっているのに腰が引けている。
重心のしっかりしない不自然な姿勢である。
「ねぇ、僕の服装ちゃんとしてる?」
「ちゃんと、って今日お前働いてへんから何も汚れてへんやんけ」
「裕、そんなこと言わずちゃんと見てよ」
「お前、見た目はイケメンやのにホンマ中身は翔平やなぁ。なんかこれでやっと翔平に会えた気がするわ」
そう言って八柳は翔平の服装を確認する。
翔平はそわそわしながら八柳の言葉を待つが、なかなか返事がこない。
八柳は翔平をじっと見つめている。
「ねぇ、どうなの、裕」
「お前、めっちゃ男前やなぁ」
「は?」
「いや、何、その……普段の作業着でも着る奴が変わればこんなにかっこええ感じになるもんやなぁ」
八柳は手足の長い新しい翔平、その作業着を着こなす様に惚れ惚れと見とれた。
「ねぇ、それは褒めてるの? どうなの?」
「うるさいなぁ、褒めてんねやないか!」
そう言って翔平の背中を叩くと、翔平は前のめりになってレジのカウンターに手をついた。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
見上げると襟を立てた黒いポロシャツに緑色のエプロンを身にまとった神田真奈の姿があった。
すでに順番が回ってきていたのだ。
「あ……その…こんばんは」
真っ直ぐな瞳で見つめる神田に翔平は言葉を詰まらせた。
「あぁ、いつもご苦労様です。アイスコーヒー2つで」
後ろから八柳がやってきて翔平の背中を擦りながら言った。
「こんばんは。はい、アイスコーヒー2つですね?」
「そうそう2つで。あの、神田さん……っすよね?
神田は目を丸くした。
「え? ……はい、そうですけど」
「いやぁ、何ていうか、こいつ俺の連れでね。いつも言ってるんですよ」
急に神田に話しかけはじめた八柳に翔平は驚き、腕を引っ張り、やめさせようとする。
神田は目を丸くさせてじっと見つめている。
「やっぱ神田さんええなぁ、いうて。その、なんちゅうか、エプロンの緑が映えとるなぁって。小池百合子より緑が似合うでぇ、いうてね」
神田はくすっと笑い、後ろから八柳を羽交い絞めする翔平に、
「どうも、ありがとうございます」
と言った。


**********


「ちょっと、何で急にあんなこと言うんだよ!」
奥のテーブル席に座った翔平と八柳。
「忖度や。忖度」
ストローをチューチューさせて涼し気な顔でアイスコーヒーを飲みながら八柳は言った。
「有難いと思え」
「でも、どうして急に?」
すると八柳は翔平に顔を近づけ、片方の口角を上げながらこう言った。
「神田さん、お前に惚れとるわ」
「は!? 」
「いやぁ、すげぇなって思った。イケメンはすげぇな。お前を見る目が今までと全然違うかったもんな」
翔平の頭は真っ白になった。
それから徐々に周りの雑音が聴こえなくなっていった。
そしてゆっくりとカウンターの方へ視線を移すと、頬を赤らめた神田真奈と目が合った。





つづく