中国、成都への旅14

さて、この回で長かった旅の記録は終わりだ。
たった4泊5日の旅だが濃縮しても零れ落ちるほど目まぐるしい毎日だった。
今回の旅から帰った僕と朋子さんは体中が痛くて堪らない。
乗り物に乗り過ぎたことと、怒涛のスケジュールによって翌々日に起こる筋肉痛のような副産物をもたらした。
次の日、僕たちは8時半にホテルを出て、11時の南京経由の飛行機で無事日本へ帰った。
それでは最後の物語を。

「この時間からバーベキューですか?」
「これで最後、これで最後」
ニコニコ笑って一丁さんは言う。
呆れながら僕と朋子さんは一丁さんが手を振って止めたタクシーに乗り込んだ。
と、辿り着いたのは張さんのマンションの前。
人通りはない。
それもそのはず時刻は夜中の2時である。
「もうすぐしたら友達が来るからちょっと待ってて!」
そう言って荷物を張さんの家に運ぶために走っていく一丁さん。
え?ちょっと待って、行っちゃうの?

一丁さんが急に立ち止まる。
「いた!これ!友達!英語喋れるから話しておいて!」
そう言ってまた小走りに行ってしまった。

車の中からがたいの大きな男が現れた。
筋骨隆々の逆三角形に黒縁の眼鏡をかけている。
その圧迫感のある外見とは裏腹に実に軽やかに話し出した。
「オー!初めまして!僕は英語名ではマイケルと言います!よろしくお願いします」
とっても気さくで感じが良い。
「えっと、僕は一丁と中学生の時からの同級生で、今日会う約束してました。それから…えっと…えっと」
僕も自己紹介して、それから何か話をしようとするのだが、マイケルの話す言葉が分からない。
「ごめんね、もう少しゆっくり話してちょうだい」
そう言うと「オー!ごめんなさい!僕の英語が拙いばっかりに!」
いやいや、全然そんなことはないのです!
僕の方が圧倒的に語学力がないのですから!
ソーリー!マイ イングリッシュ イズ ベリー プーア!
するとマイケルも大きなジェスチャーで恐縮する。
この人、面白い。

「僕はね、一丁と今日会う約束をしたんだ。その時間が12時」
時計を見ると2時を越えている。
「それでね、僕には彼女がいて、門限があって、その時間が2時」
そう言って頭をかいた。
もう過ぎてるじゃない、そう言って僕たちは笑った。
いつの間にか一丁さんはマンションの前に降りてきていて、マイケルに「早く行くよ!」と言って先に歩き始めている。
「もう、いつも自分勝手なんだから」
そんな表情をして僕らに見せるマイケル。
僕たちはおかしくて仕方なかった。
「あ、そうだ」
と車に戻るマイケル、飲みかけのスタバのコーヒーを持ってきた。

「もう遅い!」
小走りにやってきたマイケルに対し一丁さんは足早に歩きながらそう言った。
「遅いって、ひどいよ!君が2時間も遅れてきたんだろ!」
また僕たちは笑う。

マイケルは小さな声で僕に言った。
「このコーヒー、今日だけで3杯目なんだ。1杯目は朝食の時、2杯目と3杯目はこの2時間のうちに」
そう言ってやれやれといった表情を見せる。
その言葉に僕はまた笑う。
ダメだ、この人、本当に面白い。

それから僕たちはホテルの前の屋台で串刺しの肉(バーベキュー)を食べた。
「成都に帰ってきたら男友達はみんな私にご馳走してくれる。彼ももちろんそう」
一丁さんがそう言うとまたやれやれといった表情で、串を選ぶマイケル。
「ひどいなぁ」とは言いながらも、最初からそのつもりであることは僕たちにも分かる。
だってとても素敵な人なんだもの。

マイケルが屋台のおじさんと話している最中、一丁さんが小声で言った。
「でも、私だって選ぶ店は考えてるの。そりゃお金持ちにはレストランに連れて行ってもらいたいけど……彼だから、ここなのよ」
それから屋台を見た。
色の褪せた肌の老夫婦が営む屋台。
「わたしだって優しいのよ」
マイケルがくしゃみをしてこちらを見た。

マイケルはその昔、中国を代表する競泳選手だった。
今は水泳のコーチをして働いている。
一丁さんとは中学生の頃から仲良くて、その関係は今尚続いている。
マイケルが言うに一丁さんは学生時代、周りから「ボス」と呼ばれていたらしい。
確かにマイケルの前の一丁さんはなかなかの親分ぶりだった。
マイケルに有無を言わせないその態度に一丁さんの学生時代が伺える。
たくさん笑った。
たくさん、たくさん笑った。
マイケルはすごくいい人で、すごくユーモラスで、すごく頭の良い人だった。

一丁さんは愛されていた。
それはマイケルだけじゃなく、この旅で出会った全ての友人から深い愛情を受けていた。
言葉は分からなくても伝わる。
それは友人たちが一丁さんを見る視線、声の掛け方、振る舞い、投げかける笑顔。
そしてただただ一丁さんの友人であるというだけの僕と朋子さんに対する圧倒的な信頼と優しさから。
彼女の魅力は言葉では言い表せない。
そこにいるだけで時空が歪む。
その歪んだところにできた空間の隙間、その真空に引き込まれるように、僕たちは彼女の魅力に惹きつけられる。
笑っていても、落ち込んでいても、怒っていても、彼女の一つ一つの感情に目を止めてしまう。
そんな力が一丁さんにはある。
おもしろい人と出会った。

これから何が起こるだろう。
いや、何を起こすのかは僕たち次第だ。

中国、成都への旅13

わいわいがやがやと賑わう店内、至るところで白い湯気が立ち昇る。
顔を赤らめ鍋を囲みながら言葉を交わす人々。
中心ではマグマのように赤い液体がぐつぐつと音を立てる。

長い箸で鴨の腸をしゃぶしゃぶしてはごま油に絡めてすする。
200平米はある店内で日本語が飛び交うのは僕たちの卓だけだ。
その女の子は徳島と岡山に留学経験のある子で非常に堪能な日本語を話す。
今は中国で語学学校を経営しているのだとか。
一丁さんと中国行きの機内で出会ったらしい。
雷のため経由先の空港から離陸しない機内で話しかけたのだとか。
そこで意気投合し、それからお互いに連絡を取るようになった。
日本名はユキさんという。

久々の再開に話は尽きない。
ユキさんは昼に火鍋を食べたので四川料理を食べたかったらしいが、そこは一丁さん、明日帰るのに火鍋は外せないだろ、ということでこの店に決まったらしい。
たらふく火鍋を食べた後、次はバーに行こうということなり四人でタクシーに乗り込んだ。

成都の中心部、グッチやプラダのブランド店が並ぶ中にそのバーはある。
店内はかつてのバブル期のような華やかさ。
氷の詰まったクーラーに山ほどのシャンパンが刺さっている。
泥酔でガラス扉に頭を打って倒れるドレスを着た女の子。
短髪で浅黒い肌の眼光鋭い男達。
松明から炎が上がり、テーブルを照らす。
テラスのソファ席に座ると、ユキさんの知り合いのケビンというアメリカ育ちの中国人も合流した。
ジントニックやモヒートで乾杯して中国語と英語と日本語を交えながら皆で話した。
ケビンは中国語と英語しか話せないので、僕も拙い英語で必死に喋った。
彼は近くでイタリアンの店を経営しているらしい。
僕も日本でバーとイタリアンを出すカフェをしていることを伝えると急に距離が縮まった。
日本が好きらしく、京都や奈良、神戸を訪れたことがある上、今は弓道に興味があるらしい。
ちょうど年齢も僕の一つ下の30歳。
お互いに好きな映画を勧めI合った。
自分で言うのも何だが、僕も相当の本数の映画を観てきた自負がある。
しかしケビンにも相当に教養があった。
あとでユキさんに聞けば、大きなスクリーンと数え切れないほどのDVDを収納した映画専用の部屋まで持っているらしい。
大富豪の御曹司だ。
そりゃそれだけ詳しいわな、と半ば呆れながら納得した。

後で一丁さんの弟さんも合流し、皆でグラスを交わした。
一丁さんの弟さんは刑事で、最近かなり上の位に昇格したらしい。
おめでたいといって嬉しそうな一丁さんの笑顔が見れた。

店の炎も消え、クローズの雰囲気に。
さぁ、これでお開き。
長い成都の旅が終わる。
皆で店を出て今日の長い一日を振り返る。
楽しい時間もこれでお終いか。
名残惜しい。
「楽しい時間は早いですね」
と一丁さんに言うと彼女はケロっとした顔でこう言った。
「今からバーベキュー食べるよ。それでおしまい」

まだ……まだあるのか。
隣を見ると朋子さんと目が合った。
よし、これが本当の最後だ。

中国、成都への旅12

今日の体が軽いのは、昼に張さんの家で頂いた果実とプーアル茶、そして一丁さんのお母さんの手料理のおかげだろおう。
一丁さんのお母さんはマリア様のように優しい。

刺激の強いカプサイシンで痛めた胃腸に、薬のような料理を作ってくれた。
料理が上手なものだから張さんも毎日来てほしいと言っている。
お手伝いさんが作るものより、出前の料理より俄然美味しいからだ。
野菜の旨味を活かしながら繊細な味付けで数々の皿のフルコース。
日本から来てこちらの料理に慣れない僕たちの体を気遣ったラインナップには涙が溢れた。
締めの温かいスープに至るまで万全のもてなしだ。

料理を運んでくる度に「おいしい?」と日本語で聞いてくれる。
「とっっってもおいしいです!」
と答えると天使のような微笑みでまたキッチンの元へと戻って行く。
バレエの心得があるので姿勢もしなやかで美しい。
活発でお世話好きだから、僕たちの箸が止まっているとわざわざ器に料理を盛り付けてくれる。
一丁さんたちが話している間も構わずにオレンジの皮を剥いてくれたり、茹でたピーナッツの殻を剝いでくれたりして渡してくれる。
本当に優しい。
でもその度に会話が止まるので、娘の一丁さんは少しじれったい顔をする。
どこにでもある家族の風景。
素敵な関係性だなぁって思う。

イトーヨーカ堂から出た僕たちはいつものようにタクシーに乗り、錦里という場所へ向かった。
こちらの方はチベットの方がたくさんいて、見渡す顔は今までの光景とは違うものだった。
アーリア系の彫りの深い顔立ちが目立つ。
そこは三国志で劉備玄徳が関羽と張飛と共に誓いを立てたという有名な場所だった。
成都へ来て四日目、初めてThe観光地のような場所に来たと思ったら「せっかく成都まで来たのだからちゃんと二人を観光地へ連れて行きなさい」との言葉をお母さんに言われたらしい。
少し反省気味の一丁さん、「いやいやお構いありません」と恐縮する。
だって本当に楽しく、仕事だけでなく遊びにも全力の充実した毎日なのだもの。
にしてもどこまでもどこまでも果てしなく優しいお母さんだ。

「カバン、ちゃんとチャックしてね」
険しい表情になる一丁さん。
スリが多いのだという。
中国のスリは実に巧妙でカバンの口を閉めていても取られるくらいなのだそうだ。
観光客だけでなく、地元の人間だってターゲットになるらしい。
その言葉を聞いて朋子さんの表情が固まった。
彼女が心配し出したら見ているこちらが可哀そうになるほど徹底する性格。
この危機管理能力があるから仕事ができるのだけど、プライベートでこの性格は本当に辛いだろうと思う。
肩を上げてカバンを前に隠し、キョロキョロしながら人ごみの中へ入って行く。
せっかくの観光風景よりも、スリの心配に集中しているから足早になる。

だから僕たちは三国志の舞台の地を急ピッチで味わった。
一丁さんは観光地には特に興味ないし、朋子さんはスリが怖い。
僕はこ歴史に興味があるのでじっくり見たい。
2対1だから仕方がない。
あの一丁さんが連れてきてくれただけでも感謝である。
「亮太くんは文化人だから見ないとな!」
そう言って頷く一丁さんだが、頭は既に次の予定のことを考えていた。
諸葛亮孔明の大きな像の写真を撮り、僕らはその地を後にした。

様々な漢方が販売している店が並ぶ道を三人で歩く。
冬虫夏草やトカゲの干したものを指さしてはああだこうだ言いながら、次なるスポットはワンタン屋さんだった。
有名な店の支店らしく、どうやらここもお母さんに行ってくるよう言われたらしい。
一丁さんはワンタンを3種類頼んだものの、店員の態度が気に入らないらしく、一口食べてすぐに店を出た。
確かに一丁さんが来るような場所ではない。
衛生面も悪いし、対応だってちょっと首を傾げたくなる。
でもその古き良きアジアンテイストな雰囲気は観光客には喜ばれるだろう。
観光客が大阪の通天閣を見たいだろうからと、芦屋のお嬢さんが連れてきてあげた。
そんな感じだろう。
まぁ致し方ない。

これが成都での最後の夜になる。
何を食べるのか尋ねると「もちろん火鍋」と一丁さんは答えた。
そう、僕の口もまた火鍋を恋しく思っていたのである。

中国、成都への旅11

成都ではイトーヨーカ堂は日本でいうところの百貨店の扱いなのだという。
キラキラしていて、高品質のものが揃っていて、富裕層をターゲットにした店づくりをしている。
平日だというのに建物の中は人でごったがえしていた。
一階から順にフロアを見ていく。
なるほど、日本のショッピングモールと似たつくりでいて、入っているテナントも大方日本にあるブランドと変わらない。
人気なのは日本の食品と生活用品。
やはり安心・安全の日本ブランドは信頼があるようだ。
値段を見れば大体日本で売っている価格の二倍~三倍。
それでも商品は飛ぶように売れている。

一丁さんがイトーヨーカ堂時代に共に働いていた方と挨拶を交わす。
その女性はニッコリ微笑んで「初めまして」と言った。
べらぼうに日本語が巧い。
その流暢な言葉はまさに立て板に水、その辺の日本人より達者である。
聞けば日本には来たことがないという。
驚愕である。

なんだかんだと発想が広がった。
どこにでもチャンスはあるし、あとはアイディアと行動力だけだ。
誰かがやる前に形にしてしまうこと。
頭の中に良い発想があっても、それを形にしなければ意味はない。
宝の持ち腐れである。
きっと同じようなアイディアを持っている人は世の中に五万といて、その人たちと成功者の違いは形にしたか頭の中だけで終えてしまったか。
それは捕れたて魚と同じで鮮度が命である。
どれが当たるかは分からないが、次々と形にしていくことで、さらなるアイディアの飛躍や人脈のラインができていく。
失敗しない努力も必要。
だけど、それよりも行動を起こすことが大切。
失敗する確率を0にはできない。
でも、失敗した時の対応力を養うことは可能だ。
対応力を上げるには、予想外のアクシデントをどれだけ経験したか。
全ての失敗は成功のための布石なのだ。

僕たちはイトーヨーカ堂を出て、次なる目的地へと向かった。

中国、成都への旅10

ぼやけた視界の中、盛られた数々の果実。
瑞々しく、窓に差し込んだ光を反射する水滴。
手を伸ばし口に頬張る一丁さんと朋子さん。
しゃりしゃりと心地良い音を奏でる真昼の風景。

張さん(一丁さんの親友)の家のリビングだ。
お手伝いさんがキッチンから新鮮な果実の入った器を運んでくる。
数種類の宝石のように色鮮やかなその弾けるように爽やかな命の実は、そこにあるだけで清らかな香りを放つ。
湯呑には白い湯気を立てたたっぷりのプーアル茶。
ここが極楽でないならば、どこに極楽があろうか。

「このお茶は癌の予防になる、それからこの青い実は女性器によく効く、それからこの木の実は目に良い」
順々に手に取りながら一丁さんが丁寧に教えてくれる。
「これは日本では何ていう果物ですか?」
「これ……これは日本にはない」
そう、日本では食べられないものが意外にもたくさんあるのだ。
「この干した果物、新鮮な方はもっとおいしい」
そう言って茶色いレーズンのようなものを口の中に放り込んだ一丁さん。
僕と朋子さんも食べてみる。
グミのような質感、甘みが口の中に広がる。
一丁さんが張さんに中国語で何やら話す。
すると張さんがお手伝いさんに何か喋った。
しばらくしてキッチンの奥へ入って行ったお手伝いさんが、籠に薄いブラウンの木の実を入れて戻ってきた。
手に取るとピスタチオみたいな質感。
指で押しつぶして殻を割るとプリンとつややかな白い実が顔を覗かせた。
「これが新鮮な方よ」
わざわざ出してきてくれたらしい。
殻を取って口に入れると豊潤な果汁に爽やかな甘みが口を満たす。
中心は種があってそれをよけながら食べる。
ちょうど味わいも見た目もライチに似ている。
とても美味しい。

食べ出したら癖になる。
ひたすら殻を割りながら白い果肉を食べ、種をガラ入れに捨てる。
たまにプーアル茶を飲んで胃袋を温め、また木の実に手を伸ばす。

昨夜は大変だった。
四川武術チームと円卓を囲んで四川料理を楽しんだ後、僕と朋子さんと一丁さんはタクシーに乗り込み夜の成都へと繰り出した。
成都の中心部の繁華街は黒山の人だかりで、地元の若者だけでなく観光客も多い。
派手な電飾に軒を連ねる飲食店。
そのほとんどの場所で酒が飲め、中には海外のビールやカクテルを飲める店もある。
練り歩きながら今後の予定を聞くと、これからテレビの制作会社をしている友人夫婦と会うそうだ。
奥様とは武術で知り合ったのだと。
場所は奥様の弟さんがカニ料理の店を出したというので開店記念も含め、顔を出すのだという。
それまで少し時間があるのでコーヒーでも飲もうということになり、二階建てのお洒落なオープンテラスのある店に入った。
テラスのソファ席で温かいラテを飲みながらお喋りをして、僕はトイレに立った。
店内はオーガニック系でウッディ―な作り、焙煎されたコーヒーの香りと店内の随所に置かれた本棚には中国語の小説や歴史書がずらりと並んでいる。
僕の好みの場所だ。
気になった一冊の本に手を伸ばすと村上春樹氏の小説『国境の南、太陽の西』の中国語版だった。

用を済ませテラス席に戻ると、一丁さんが隣の席の中国人の男性と楽しく話していた。
どこへ行ってもすぐに友達を作ってしまうのが彼女のすごいところ。
その男性は学生らしき友人の女性二人と一緒で、楽しそうの煙草を飲んでいた。
男性の煙草が一際白煙を噴き出していたので、一体何を吸っているのか尋ねたようだ。
ストロベリーフレーバーの水煙草のようで、もくもくと白い煙からは甘い香りが広がる。
男性は雲南省で民宿を経営しているらしく、近々日本にも遊びに来る予定らしい。
するとその中の一人の女性が煙草を差し出してくれた。
僕はそれを一丁さんから受け取り、ライターを渡された。
「中国ではもらったものは頂くのが礼儀だから」
と言っていたずらっぽい笑みを見せる一丁さん。
僕は10年以上ぶりに煙草に火を点けた。

「はぁーっ!草っぽい!」
強烈な草の味がする。
すると男性が一丁さんに何か話している。
「亮太くん、煙草の口のところを噛んでみて」
一丁さんに言われた通り煙草の付け根の辺りを噛むと、カチッという小気味の良い音が鳴った。
それから煙草を吸うと、何が何だか熱いものが肺の中を巡り、抜けて行った。
脳がくらくらする。
久々の煙草にヤニクラか、と思うと視界がぐにゃっと歪んだ。

それを皆が笑った。
「それね、お酒が入ってるのよ」
そう言ってまた笑った。
酒?
なるほど、この脳内を揺らす正体は煙草のニコチンだけでなく、先ほどのカチッという音でアルコールの成分が煙草に溶けだしたせいだったのか。
肺からアルコールを入れるとそれは少量でも酔いやすいだろう。
ここで僕の思考はロー・スピードになった。

彼らとはバイバイして、停滞する感覚のまま次の地へ向かう。
タクシーでしばらく走ったところに一丁さんの友人の店があった。
店は既に閉店していたのだけれど、僕たちのために開けていてくれたらしい。
次々と豪華な料理が並び、一丁さんの大好きなザリガニも出てきた。
酒を飲み、勧められた煙草を飲み、ビジネスの話や異国の話に花を咲かせ、くらっくらになってホテルに着いたのは夜中の三時を過ぎていた。

そのようなこともあり、張さんの家で温かいプーアル茶と盛り沢山の果物を頂いたことが僕にこの世のものとは思えない極楽を感じさせたのだ。
心にも身体にも美味しいひと時。
さぁ、午後からはイトーヨーカ堂へ偵察にいくぞ。